(科学ジャーナリスト:添田 孝史)
今年は、関東大震災から100年になる。東京中心部の耐震化はかなり進んだものの、当時と比べると東京23区の人口は3倍以上に増え、JR山手線外周部を中心に、木造住宅密集地域も残されたままだ。首都圏を襲う次の震災は、どんな様相を見せるのだろう。
犠牲の大きい火災旋風「意思を持つ生き物に見えた」
関東大震災の死者・行方不明者約10万5000人のうち約9割が火災によるものだった(図1)。東日本大震災(2011年)の死者の9割は津波による溺死、阪神・淡路大震災(1995年)の死者の約8割は家屋の倒壊や倒れた家具などの下敷きによる圧死だったが、首都圏の「次」は、やはり火災の犠牲が多くなりそうだ。
吉村昭の著書『関東大震災』に、東京都墨田区の旧陸軍被服廠跡(ひふくしょうあと)に避難していた人を襲った火災が生々しく描かれている。
「炎は、地を這うように走り、人々は衣服を焼かれ倒れた。その中を右に左に人々は走ったが、焼死体を踏むと体がむくれているためか、腹部が破れ内臓がほとばしった。そのうちに、烈風が起こり、それは大旋風に化した。初めのうちは、トタンや布団が舞い上がっていたが、またたく間に家財や人も巻き上げられはじめた」
被服廠跡で発生した火災旋風だけで、約3万8000人が亡くなった。こんな火災旋風が、東京で110個、横浜で30個発生したと報告されている。
東日本大震災でも火災旋風はあらわれた*1。宮城県気仙沼市のJR南気仙沼駅近くの住宅街に突然出現したものは、火柱の高さ約230メートル、直径は約130メートルにもなったとみられている。
*1 篠原雅彦、松島早苗「東日本大震災で目撃された火災旋風」消防防災の科学 No.108
https://www.isad.or.jp/pdf/information_provision/information_provision/no108/36p.pdf