古来より密接な関係、入浴と性欲
古代ローマ人にとって、入浴の目的は、その後の活動の準備のためであり、そのために日中に入浴したが、日本人は一日の疲れを癒すために夜に入浴する傾向がある。
米国人は身体の汚れを落とすため入浴する。だが、日本人は身体の汚れを落としてから風呂に入る。
公衆衛生に気を配り、浴槽に入る前に身体をきれいに洗い流すことが常識であるためだ。
古い文書によれば、風呂をたてて客を招き、入浴をさせることを「風呂馳走」といっていたことが見られる。
それは、あたかも心づくしの料理を作って饗応するのと同じく、入浴も馳走と称し客をもてなす重要な配役の一つであった。
飲食の前に入浴をさせることで、浴後の酒をことのほか賞味した風は、さっぱりとした爽快さの上に、さらにくつろぎ愉しみながら酒を酌み交わす。これぞ冒雨剪韭(ぼううせんきゅう)といえよう。
江戸時代の武家屋敷では来賓の入浴の際、その世話係には、若い女が必ず用意された。江戸の武家で入浴接待に出た女が殿様の御手付きとなることを「お湯殿より」といった。
中には入浴の世話係だった女中が将軍の御手付きとなり大奥に入るという大出世した例もある。
その川柳、「湯女(ゆな)のへ上り奥中でにくまれる」というのが詠まれているが、そこに込められたのは、おそらく「女中の分際で」というやっかみなのだろう。
江戸に初めての銭湯(湯屋:ゆうや)が置かれたのは家康が江戸入りした翌年の天正19年(1591年)。