大谷翔平フィーバーに沸くロサンゼルス・ドジャース(写真:AP/アフロ)

 今年も開幕から8連勝と好調のMLB名門球団、ロサンゼルス・ドジャース。その中で大谷翔平と山本由伸、そして今年から新たに「令和の怪物」こと佐々木朗希という3人の日本人選手が活躍しているのは周知の通りだ。これまで日本人メジャーリーガーの門戸を開いた野茂英雄をはじめ、石井一久、中村紀洋、黒田博樹、ダルビッシュ有など31年で12人もの日本人選手が所属し、日本人にとってなじみ深い球団だが、実はドジャースと日本人を繋げた「ふたりの男」の存在があった。

(*)本稿は『ドジャースと12人の侍』(AKI猪瀬著/KADOKAWA)の一部を抜粋・再編集したものです。

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日本人メジャーリーガーの扉を開いたパイオニア・野茂英雄

「ドジャースの一員となった、この日は生涯忘れません」

 1995年2月13日、この日から全てが始まった。近鉄バファローズから任意引退扱いになっていた野茂英雄が契約金200万ドル、年俸はわずか10万ドルのマイナー契約でロサンゼルス・ドジャースと契約を締結したのだ。

ドジャースの入団会見に臨む野茂英雄(1995年2月13日、写真:AP/アフロ)

 MLBはその前年となる1994年8月12日、年俸総額を設定する「サラリーキャップ」の導入を求めるオーナー側に対して、選手会が断固拒否してストライキに突入。MLB史上8回目のストライキは1995年4月2日に正式終了したが、1904年以来となるワールドシリーズの中止など、北米4大プロスポーツ史上最長となる232日間も続いた。

 1995年4月25日、144試合に短縮されたシーズンがロサンゼルス・ドジャース対フロリダ・マーリンズの一戦で開幕。野茂はドジャースのスプリング・トレーニング施設、フロリダ州ベロビーチで調整を続け、MLBが開幕を迎えた時期にドジャース1Aのベイカーズフィールド・ブレイズに合流し、4月27日、サンディエゴ・パドレス傘下ランチョ・クカモンガ・クエイクス戦に先発。

 この日の登板が野茂にとってのアメリカ国内デビュー戦。90球の球数制限が設けられる中、5回1/3を投げ、マイナーでの調整が1試合のみで終了する。