奪三振数でドジャース新記録樹立、「ノモ・マニア」旋風が巻き起こる
迎えた6月2日、本拠地で行われたニューヨーク・メッツ戦。2回表、4番左翼手ボビー・ボニーヤに先制ソロ本塁打を打たれた野茂だったが、その後は相手先発で1985年、1989年とサイ・ヤング賞を2回受賞したブレッド・セーバーヘイゲンと素晴らしい投手戦を演じて、8回、被安打2、6奪三振、与四球3、失点1でMLB初勝利を記録。この1勝を機に全米を巻き込む「ノモ・マニア」旋風が巻き起こる。

6月14日、敵地スリーリバー・スタジアムで行われたピッツバーグ・パイレーツ戦でドジャース新人記録となる1試合16奪三振を記録。6月24日、本拠地で行われたジャイアンツ戦では日本人投手初完封。6月14日のパイレーツ戦から6月29日のロッキーズ戦までの4試合で合計50奪三振をマークし、4試合での奪三振数としてはサンディー・コーファックスを超えるドジャース新記録を樹立する。
6月の月間成績は6先発で6勝0敗、防御率0.89、50回1/3を投げて奪三振60、与四球16を記録して月間最優秀投手賞を初受賞した。
「小さいころから速い球を投げたいという事を思っていたら、今の投球フォームになった」と本人が語る独特の「トルネード投法」と伝家の宝刀「フォーク」を武器に快進撃を続けた野茂は、テキサスで行われた球宴にも初選出され、最大の名誉とされる先発投手を務めた。
「大金持ち対金持ち」の醜い喧嘩と称された未曾有のストライキでファン離れが叫ばれていた1995年シーズンだが、「ノモ・マニア」の影響でファンがボールパークに戻ってくる大きな転機となった。
後半戦もローテーションを守った野茂は、シーズン13勝6敗、防御率2.54、奪三振236、3完封を記録。9回平均の奪三振率11.1は1962年にサンディー・コーファックスが記録した10.5を超えるドジャース新記録となった。
さらに防御率1.63を記録したブレーブスのグレッグ・マダックスに次ぐリーグ2位、奪三振と完封数はリーグ最多を記録して日本人初となる新人王を獲得。この時、野茂と新人王を争ったのは、2018年に殿堂入りを果たしたブレーブスのチッパー・ジョーンズ三塁手だった。
野茂英雄が世間の厳しい声と闘い、押し開けた重い扉は、その後も閉じることなく、日本人選手が通り続けている。