球団関係者全てに愛された日系人のカワノ兄弟

 実は野茂英雄がドジャースのユニフォームに袖を通すはるか昔にも、ドジャースの歴史に名を刻んだ日系人がいた事をご存じだろうか。

 1923年4月16日、日本人移民の子供としてワシントン州シアトルで生まれた川野延、通称ノブ・カワノ。

 カワノには1921年6月4日に生まれた兄ヨシュ・カワノがいた。家族は数年後、カリフォルニア州に移住。野球好きの兄弟だったが、戦争の暗い足音が聞こえてくる時代、実際にプレーする機会はほとんどなかったと言われている。

 第二次世界大戦中、家族はアリゾナ州の戦争移住センターに収容された。その後、1942年頃から兄ヨシュがシカゴ・カブスのクラブハウスの仕事につき、弟ノブは1959年からドジャースのクラブハウスの仕事についた。

 1960年シーズン後、コーファックスが引退を決意して野球道具をゴミ箱に投げ捨て、クラブハウスを出ていった後に、ノブはその野球道具を拾い上げた。そして翌年のシーズン前に「これが必要になるかも知れない」と磨き上げた野球道具をコーファックスに返したという。

 2022年にドジャー・スタジアムで行われた銅像の除幕式でコーファックスは、自身の銅像を見つめながら「ノブは私の良き友人でした」と語った。

 またある時、体重を気にしていたラソーダ監督のユニフォームの背中の名前を「ラソーダ」から「ラザニア」に書き換えるイタズラを選手とともに実行するなど、ドジャースに欠かす事ができない一員だった。

 1991年に退職するまで、長きにわたりドジャースの一員だったノブは、2018年7月27日に95歳でこの世を去った。

 兄ヨシュもカブスに無くてはならない存在だったという。1981年にリグレー一族からシカゴ・トリビューン社にカブスが売却された時に、リグレー一族はヨシュの終身雇用をシカゴ・トリビューン社に求め、了承された。

 殿堂入りを果たしたライン・サンドバーグは、式典でのスピーチでヨシュに感謝の言葉を残した。ヨシュとサンドバーグは特別な友人関係で結ばれていて、もし、リグレー・フィールドの名称を変更するならば、「ヨシュ・カワノ・フィールド」にするべきだと発言した事もあった。

 2008年に退職したヨシュは2018年6月25日に死去。享年97だった。球団関係者全てに愛されたカワノ兄弟は、わずか1カ月違いで偉大な選手達が待つ天国へと旅だった。