幕府はたびたび風紀が乱れるということで男女入込湯の禁止令を出すと、銭湯は男湯と女湯が別々なものとなるよう仕切りをしたり、曜日や時間帯を男湯専用、女湯専用と別々にずらしたりするものもあらわれた。

 だが、人口が密集した江戸の狭小な住宅事情もあり、結果、浴室が狭くなり、また、生活の実情に合わないなどの理由により、特に女性の間からの苦情が殺到した。そのため、結局、男女混浴の形態が続いた。

 幕府の男女入込湯の禁止令に、特に女性が反発したのは、おそらくは浴室が狭くなったためだけではないだろう。

 狭くて蒸し暑い浴場内は男女が肌をさらけ出し、犇めきあい、蠢動する場である。

 そのありさまの中で、男が女の浮艶に惹かれるのと同様に、女もまた男臭い裸体に対する雌的な探求的好奇心も潜んでいたのだろう。

 なぜなら入浴と性欲とは密接な関係があるからだ。

 そこでは女が日頃は隠して見せまいとしている妖しいときめきが生じ、桜色に火照った身体や、肉感溢れる瑞々しい素肌の上に無造作に羽織った浴衣姿といった趣。

 女性ならではの浴後匂い立つ芳烈などの風情に色めき立つ場が湯屋であり、そこでは男と女が互いに胸躍らせながら性の喜悦を享受し合う。

 それが男女混浴の妙味であり、性的な疼きを密かに愉しむような扇情的な空気さえ漂っていたにちがいない。

 銭湯が増えると湯女(ゆな)風呂が流行した。