連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

男と女の関係の基盤をなしているのは性的な求め合いである

 心のやすらぐよい家庭を築き上げることは、人生にとっての大きな目標の一つであり、よろこびでもある。

 それを実現させるには家族を養う経済力もさることながら、円満な夫婦関係が維持できるか否かがカギとなることは言うまでもない。

 人との出会いにはきっかけがあるものだが、恋愛というものの始まりは常に性欲の発動が関係している。

 しかし、人間とは素直な生きものではないため、一人の男の心が、あるいは一人の女の心が、特定の異性に惹かれ始めた途端、「動機のすり替え」を自分の心の中に起こしがちだ。

 性欲をたたき台にして、社会的な合理化を図るということは、人間の恋愛の始まりの最初の一瞬において、よく試みられることである。

 それは人間らしい微笑ましい誤魔化しである。

「いえ、彼との結びつきの始まりはテニスという共通する趣味の一致が動機でありまして、性欲などではありません」と主張する淑女であっても、残念ながら恋そのものの始まりには必ず性欲の疼きがある。

 また、日曜日には教会の礼拝に必ず訪れる敬虔な貞女が「私たちのつながりは精神的なものであって、性欲などとは全くの無関係です」などと胸を張ったとしても、それは方便に過ぎない。

 もし、その恋愛が結果的に結婚につながる大恋愛に発展しようと、実り切れずに途中で消えた恋であろうと、恋の始まりはエロティックな思いが働くからであり、性欲の勃興なくして、その炎は燃え上がることはない。

 つまり性欲に蠢きをもたらすきっかけとは、けっして思想だの、スポーツだの、同じカルチャー教室だの、同じ職場だのといった理由からではないのだ。