連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

張見世とは、遊女らが妓楼の見世先に並んで座し、遊客の選択に供すること。張見世する場所は役所と呼ばれた。その理由は役人が役所に詰めているのと同様、昼は正午から4時間、夜は午後6時から引け四つ(午後12時)まで6時間も座していなければならなかったことによる

 人が働いたり、あらゆる努力をしたりするのは、「恋愛生活をいかに完成させ、幸福なものとするため」ではないか。

 ポルトガルの諺に「月と恋は満ちれば欠ける」というのがある。

 月が満ちて欠けるかのごとく、愛もピークを過ぎると下降する意だが、月は欠けても、いずれまた満ちる。

 夏目漱石が英語教師をしていた頃、教え子が「I love you」を「我、君を愛す」と翻訳した。

 それに対し漱石は、「日本人はそうした言い方をしない。月が綺麗ですね、と訳しせば、それで気持ちは通じるものだ」と諭したという。

 性欲は恋愛の一部だが、売春という行為は、群婚時代や乱婚時代には、存在しなかった。

 かつて日本人の男女の関係は、集団婚や通い婚など、現在の私たちが謳歌する恋愛とは大分違ったものだった。

 平安時代の貴族社会などでは、恋愛は和歌を交換し、双方のフィーリングが合うと、男性は女性宅に夜這いに出掛け、そこで初めて互いに顔を合わせた。

 貴族に限らず、当時、男女間の情事も極めて単純で、自由なものだったため、売春を問題視することもなかった。

 鎌倉時代から戦国時代かけては、女性は交換や贈与の対象として扱われることもあった。

 江戸時代に入ると遊女文化が栄えたことから、上は大名をはじめ下は庶民に至るまで、性の喜悦を享受する時代となる。

 以降、女性が春をひさぐ稼業の需要が絶えないのは、一夫一婦制が確立したなかで、自由な性を謳歌した群婚や乱婚といった時代の名残ではないか。

色の道は、「心意気の遊び」

 性行為は隔離された秘密性と奢侈的雰囲気とを仲介として、その喜びが高潮されるのが通則である。

 色の道は、「心意気の遊び」。

 これがいろいろな形で表れ、たとえ売女との取引ではあっても、男女の上において様々な魅力を持つ場合が多い。

 江戸の廓の遊女は「意地」。

 つまり、我が意気地を通すといった勝気さと、他と張り合う勝気の気質である「張り」とを併せ持ち、それは、一種の稼業上の誇りといったようなものであった。

 巧妙な芸妓になると「意地」や「張り」を表にそれと出さなくとも、芯に意気地を持ち、稼業以上に相手の真情に応ずることもあるし、体裁良くする場合もある。

 また、「意地」の強い遊女も、一度自分よりも上手の相手だと思うと案外弱く、本当に惚れてしまうこともあったようだ。

 遊郭の遊びが庶民的となると、町民の間でも、このように心意気を含んだ遊びが盛んになる。

「好色」とか「道楽」とか称された遊びでは、客は通人・粋人が尊ばれた。

 それは自ら強引な遊興ではなく、相手が自然に我が意を迎えることを望めば、遊びの席においても、遊女や一座の者を楽しませ、その中に自分も共に楽しむ人を意味する。

 昔の遊里語に「お茶漬け」というものがある。

 茶漬け飯をあっさりと片付けるように、遊里で散々盛大な遊興をした揚げ句に、馴染妓とあっさり遊んで帰るのが、通人の遊び方を指す。

 そうした雰囲気を作る器量と裁量が吉原では貴ばれた。