湯女とは浴客の世話をする女性で風呂屋者、垢(あか)かき女などの異称がある。湯女は客の体を洗ったり垢すりや髪すき、また衣服を整えたりするなどのサービスを提供した。
『色音論』によると、湯女とは「湯女はもと諸国の温泉にありしがもとなるべし」とあり、古くは諸国の温泉宿にいた遊女を湯女と称したことから、江戸市中の風呂屋の湯女は町湯女と呼ばれた。
風呂から上がった男客は、別料金を払い2階の座敷に上がって休憩もできた。
座敷には碁や将棋が置かれ、湯女は茶菓子の接待や酒間を取持った。2階を利用する男客は湯屋にとって上客であり、散財させては収益を上げたのである。
銭湯の多くは通常の営業を終えた夕刻の6つ刻後の7つ刻から男客向けの「湯女風呂」を営んだ。
湯女風呂の風呂とは名ばかりで純然たる入浴が目的ではない。
脱衣場を金屏風で仕切るなど模様替えし、客が来れば席に侍り、三味線を奏で小唄を唄ったりもした。
そして求めに応じて男客に膚肉の交接といった性的行為が行われていたのである。
江戸の人口は男3人に女1人の割合の男性過剰な町であったため、男たちの性欲の惑乱を鎮めるための場所がいくつも存在した。
主に遊里や茶屋、湯屋などが私娼家化し接客婦を控えさせ、男たちの悶悶とした鬱勃を静穏させる役目を担っていた。