「ペンは剣よりも強し」をデザインした開成の校章、通称「ペンケン」

(柳原三佳・ノンフィクション作家)

 今年も、私立中学・高校の入試シーズンがやってきました。この時期になると、テレビのニュースなどで必ず映し出されるのが、東京・西日暮里にある、開成学園の合格発表シーンです。猛勉強の末にこの日を迎えた少年たちが、自分の受験番号を見つける瞬間・・・。見ているこちらまでドキドキしてしまいますが、親子で抱き合って喜ぶシーンを見ていると、思わずホッとして拍手を送りたくなりますね。

『開成学園』は男女共学から始まった

 開成学園と言えば、東京大学への進学者数でトップを誇る日本有数の進学校です。ペンと剣のシンボルマークとともに、「質実剛健」「文武両道」の男子校として、全国にその名を知られていますが、実はこの学校、もともとは“男女共学”にこだわって創立された学校であったことをご存知でしょうか。

 開成学園の前身である「共立学校」(きょうりゅうがっこう)は明治4年、今から148年前に、佐野鼎(さのかなえ)という人物によって創立されました。「学制」、つまり、日本最初の近代的な学校制度(下等小学四年、上等小学四年の「四・四制」)を定めた法令の発布が明治5年でしたので、その前年に創られた本格的な私立学校ということになります。

文久二年(1863年)、遣欧使節団の一員として福沢諭吉らとともにヨーロッパを訪れた際の佐野鼎(『開成をつくった男、佐野鼎』カバー写真より)

 佐野鼎という名は、教科書に一度も登場したことがないので、初めて目にする方も多いと思います。彼は幕府が派遣した万延元年遣米使節団(1860年)、文久遣欧使節団(1862年)の随員として外国の蒸気船(いわゆる黒船)で海を渡り、幕末に連続で二度の世界一周を体験した、数少ない6人の日本人のうちの1人でした。

 佐野鼎はアメリカを訪れたとき、実に詳細な『訪米日記』を書き残していました。ちょん髷のサムライたちが初めて歩いた異国の地で感じた驚きや、数々の興味深い体験・・・。この日記を読むと、まさに開成学園は、1860年に彼がアメリカで視察した教育制度が礎になって作られたのだということがよくわかります。