(柳原 三佳・ノンフィクション作家)
佐野鼎の洋装写真も
先月、「北國新聞(2025.1.12)に、以下のような見出しで大きな記事が掲載されました。
〈幕末の加賀藩砲術師範 佐野鼎の遺品あった 子孫宅に文書、写真数十点〉
紙面には明治政府(兵部省)に勤務していた頃の、本連載の主人公である「開成をつくった男 佐野鼎(さのかなえ)」の洋装写真のほか、加賀藩が幕末に開いた西洋式軍事学校「壮猶館(そうゆうかん)」に佐野が師範として招かれた当時の書面(1864年)が、カラーで掲載されていました。
これらの遺品は、佐野鼎のひ孫・佐野公治さんの京都のご自宅で長年保管されていました。昨年の秋、偶然にも大量に出てきたことから、同じくひ孫で、千葉市在住の増見寿子さんが受け継ぎ、開成学園OBを中心とする「佐野鼎研究会」で調査、研究を進めていくことになったのです。
佐野鼎の直系ご子孫については、その消息がこの50年ほどわからないままでした。しかし、2023年の秋、奇跡的に対面が叶い、それをきっかけに玄孫さんをはじめご子孫との交流が生まれ、表に出ていなかった数々の古写真や書面が初めて日の目を見ることになったのです。
「北國新聞」にここに至るまでの経緯が取り上げられていましたので、一部抜粋します。
〈遺品と佐野鼎研究会を結び付けたのが、母方の先祖に鼎を持つノンフィクション作家の柳原三佳さん。寿子さんの兄でマレーシアに移住した佐野公明さん(2024年死去)が一時帰国した23年、柳原さんの著書「開成をつくった男、佐野鼎」を知って、出版社を通じて面識のない柳原さんと連絡を取ったのがきっかけだった。〉
佐野鼎のひ孫・佐野公明さんとの出会いについては、本連載の第62回〈消息がつかめなかった「開成の創始者」佐野鼎の“ひ孫”とついに遭遇 『開成を作った男、佐野鼎』を辿る旅〉でも取り上げました。
残念なことに公明さんは、初対面から8カ月後の2024年5月、ご病気のため85歳でお亡くなりになりました。今振り返れば、まさにぎりぎりのタイミングだったわけですが、この出会いをきっかけに、佐野鼎の子孫の方々と交流が生まれ、今回の遺品発掘へとつながったことは、まさに偶然の積み重ねが生んだ幸運だと言えるでしょう。