コメを食べるアフリカ人の女の子(写真:Photononstop/アフロ)

「コメの起源はアジアにある」と何となく思っている方も多いのではないでしょうか。

 現実にわれわれが日頃食べているジャポニカ米の起源は、中国の長江の中・下流域にあったと言われています。しかし、その生産量は世界のコメ生産量の15%程度に過ぎません。世界のコメ生産量のおよそ80%は、細長くて、粘り気の少ないインディカ米が占めているのです。

 さらにイネを大きく分類すると、2つの栽培種に分けられます。1つは「アジアイネ」、もう1つが「アフリカイネ」です。われわれがよく知っているジャポニカ米やインディカ米は、アジアイネの一種になりますが、そのほかにもアフリカイネという種類があるわけです。つまり、「コメの起源はアフリカにもあった」ということになります。

 アジアイネは、インドのアッサム地方から中国の雲南にかけての地域に起源をもち、その後、中国、そして東南アジアに広まったと推測されています。考古学の調査では、人の手で最初に栽培されたイネは、約1万2000年前の長江流域で発見されています。

 一方のアフリカイネは、京都大学東南アジア地域研究研究所の田中耕司名誉教授によれば、アフリカ西部に起源を持ち、2000〜4000年前には、ニジェール川内陸の三角州で栽培されたと言われています。そこから西アフリカの沿岸諸国、中央アフリカ、そしてマダガスカルにもイネの栽培は広がっていきました。

 今回は、アジアのコメよりも小さく、籾殻が赤い、このアフリカイネの物語を紹介したいと思います。

知られていないアフリカイネの物語

コメの調理に取り掛かるタンザニアの女性

 アフリカイネについて、ヨーロッパ人が最初に残した記録とされているのは、1466年のポルトガル人航海者の手によるものです。それ以降、17世紀にかけて、多くのポルトガル人の航海者が、セネガル、ギニアからアイボリーコーストに至るギニア湾岸の海岸地域で、コメ作りが盛んに行われていたことを記録しています。実はアフリカでコメ作りがなされていたことは、当時のポルトガルでは比較的広く知られていた事実でした。

 それに対し、現代のわれわれがあまり知られていない事実もあります。それは、新世界で最初に栽培されたコメが、アフリカの人々によってもたらされたアフリカイネだったということです。

 現在、アメリカで作られているコメは、アジアイネのジャポニカ米やインディカ米が大半なのですが、アメリカでのコメ栽培はもともとアフリカイネから始まったものだったのです。