コメ作りの高度な技術を持っていた黒人奴隷
アフリカのコメ栽培は、西アフリカの地で、主にマンデ語族に属する人たちによって始められたようです。その時期については諸説あり、前述のように2000〜4000年前とも、前300〜後300年ごろからとも言われています。その記事はともかく、彼らが西アフリカを米の一大栽培地帯に変えていきます。そのことは、西アフリカに巨大な王国が形成される一因にもなりました。【地図1】はその様子を示しています。
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西アフリカに誕生した王国の一部にとって、少なくともコメは重要な食料であり、コメ作の範囲が国境を決定する重要な要因になったと考えられています。
【地図2】が、主なコメ生産の中心です。やはり、基本的には川沿いの地でコメ作が行われていたことが分かります。
1483年生まれとされるアラブの旅行家レオ・アフリカヌスは、1511〜12年にニジェール川とセネガル川でコメを栽培し販売している人々の様子を記しています。
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16世紀になると、アフリカのコメは大西洋を横断し、アメリカに送られるようになります。運んでいたのは、もちろん黒人奴隷です。彼らは、単にコメを輸送するだけではなく、その栽培方法をアメリカに伝えたのです。
通説の中には、1685年ごろ、嵐から一時避難の形でサウスカロライナの港に停泊していたマダガスカルの船の船長からもらった一袋の種籾が、アメリカの稲作の始まりだという説があります。