本連載の第5回では秦の始皇帝、第6回では漢の武帝の経済政策について述べました。秦の始皇帝が確立し、武帝がさらに発展させた中央集権体制のもと、国家が経済に積極的に介入することで中国経済は著しい成長を遂げました。今回は、その後の中国経済の行方をフォローしてみましょう。
三国時代
中央集権体制を強化し、漢を繁栄に導いた武帝(在位:前141~前87)の治世が終わると、支配階級は腐敗し、漢の国勢は衰えていきました。そうした中、外戚の王莽が政権を奪い、後8年に新を建国、経済改革に乗り出しますが、その取り組みは全く上手くいきませんでした。結局、赤眉の乱などの農民反乱を招き、23年に新は崩壊。25年に、漢王朝の皇族・劉秀(後の光武帝)により後漢が成立します。
光武帝は国力を盛り返すため財政再建に努めます。そして続く明帝、章帝の時代まで後漢は経済・文化を発展させることができました。ただ、その後は幼帝が続いたため、皇帝を取り巻く外戚と宦官との間で権力闘争がたびたび起こり、権力は腐敗していきます。
こうした中、太平道の信者による農民反乱「黄巾の乱」をきっかけに、中国は国内が分裂する「魏晋南北朝時代」(184〜589)に突入してしまいます。
魏晋南北朝時代のうち、西晋による天下統一までを「三国時代」(184~280)と呼びます。
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魏・蜀・呉の三国が鼎立した時代ですが、三国はそれぞれ経済発展に努めました。