(柳原三佳・ノンフィクション作家)
3月10日、東京大学の合格発表がありました。この時期になると必ず話題に上るのが、合格者の出身高校ランキングです。個人的には縁遠い世界のお話なのですが、つい気になって、ネットで検索してしまいました。
平成最後となる2019年は、以下のような結果になったようです。
1位 開成高等学校 187名
2位 麻布高等学校 97名
3位 聖光学院高等学校 93名
4位 渋谷教育学園幕張高等学校 72名
5位 灘高等学校 71名
というわけで、ダントツだったのは、今年も開成高校。『週刊朝日』の記事によれば、この30年間の平均合格者数は174人で、開成は常にトップを独走しているとのことです。
さて、この開成高校の創立者こそが、本連載のタイトルでもある、『開成をつくった男、佐野鼎』です。正確に言うと、1871年(明治4年)、開成の前身となった「共立(きょうりゅう)学校」を立ち上げた人物、ということになります。
1829年、駿河国(現在の静岡県富士市)で生まれた鼎は、16歳で江戸へ出て蘭学や西洋砲術などを学び、27歳のとき、長崎海軍伝習所に参加。その後、加賀藩に砲術師範として召し抱えられ、1860年に万延元年遣米使節に加わり、アメリカをはじめとする各国を視察しました。
砲術の専門家だった彼が、なぜ、明治の世になってから学校を作ることになったのか? その経緯については拙著『開成をつくった男、佐野鼎』をお読みいただくとして(笑)、今回は、佐野鼎という人物が現代の開成高校の生徒たちに負けず劣らず、いかに優秀であったか・・・、ニューヨークの街からご紹介したいと思います。
ニューヨーク・タイムズ紙が絶賛した佐野鼎
1860年(万延元年)1月、日米修好通商条約をワシントンで結ぶため、幕府が総勢77名の使節団をアメリカに派遣したことは前回の記事でも記したとおりです。