ニューヨーク・タイムズも絶賛した佐野鼎

 日本人使節の滞在中、ニューヨークの新聞記者たちは、こぞって彼らの行動を密着取材していました。

 そんな中、佐野鼎の聡明さは使節団の中でも特に際立っていたようで、なんと、有名な新聞社が相次いで彼に関する記事を掲載していたのです。

 そのひとつめは、1860年6月19日付の『ニューヨーク・ヘラルド(The New York Herald)』です。

『主な役人の一団体が、チャールズ・レイランドに付き添われて、アップルトン書店に行った。そこでの本の選択は、SANOによって行われた。彼は昨夜、ホテルのフレスコ画の説明を上手に翻訳した人物である。その本屋で使節たちはチャンピン博士に会ったが、彼はSANOがおこなった本の選択に喜ぶというよりはむしろ驚き、SANOが示した知性と教養に感銘した」

 私はニューヨークへ取材に行った折、佐野鼎が実際に立ち寄ったという「アップルトン書店」を探してみたのですが、建物は今もブロードウェイに当時のまま残っていました。現在は書店ではありませんが、重厚な造りの入り口に立つと、当時の彼らの息遣いを感じることができます。

当時、「アップルトン書店」だった建物(筆者撮影)

「チャンピン博士」なる人物が驚いたという本のセレクトが、いったいどのようなものだったのか、佐野鼎はこの書店でどんな本を手に取ったのか? この記事だけではわかりませんが、興味は尽きません。

 もうひとつの記事は、1860年6月25日付の『ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)』です。<ニューヨークにおける日本人>というタイトルで、佐野鼎が以下のように紹介されています。

『佐野鼎は、役人の中でもっとも聡明な人物の一人で、英語に多大な進歩を示し、情報を得ることにたいそう興味を持っている。彼は土曜日に手話術用のアルファベットを習ったが、彼によれば、手話法はまだ日本では知られていないという。彼は、ガヴァナーズ・アイランド(*ニューヨーク湾にある要塞)を切に訪れたがっており、また戦術に関するたくさんの書物を探し求めていた。佐野は、同じような知性を持った5~6人の随行員と共に、異国の地にあって自分からは何もしようとしない大使を山ほど集めるよりも、日本人たちにわが国に関するはるかに正しい知識を与えてくれるであろう』(『佐野鼎と共立学校』/学校法人開成学園より)

 使節の中には物見遊山のように見える者もいたことをうかがわせる、ちょっと皮肉めいた面白い記事ですが、“同じような知性を持った5~6人の随行員”が誰だったのか、これについてはほぼ特定できましたので、いずれご紹介したいと思います。

 また、佐野鼎がこのとき、「手話」に触れていることも大変興味深く、見逃せない事実です。

 実際に、彼の「訪米日記」の中には、ニューヨークで、盲学校のほか聾唖学校を見学したこと、またその驚きが詳細に記されています。盲・聾唖学校について、日本人として初めて詳細な記述を残したのは佐野鼎であるという研究報告もなされているようですので、これもまた改めてレポートできればと思います。

 それにしても、アメリカ人記者たちは、どのような視点を持って、ニッポンからやってきたサムライたちを観察し、分析していたのでしょう。下級の身分にありながら、彼らにこうした記事を書かせるに至った佐野鼎の言動や立ち居振る舞いが、とても気になるところですが、『開成をつくった男、佐野鼎』は、新聞記者が思わず記事にしたくなるほど聡明で優秀な人物であった、それだけは間違いないようです。