
(つげ のり子:放送作家、皇室ライター)
二十歳になったばかりの徳仁親王が示された「率直な態度」
今からちょうど45年前の昭和55(1980)年2月20日、浩宮徳仁親王殿下(現天皇陛下)は、成年となった記者会見で、さわやかな笑顔をたたえつつこう述べられた。
「日本をもっとよく知りたい、多くの人を理解したいと考えています」
将来、日本国の皇太子となり、いつの日か天皇という立場になられることを自覚されながらも、まだ二十歳になったばかりの一人の青年は、日本の象徴という役割がどのようなものなのか、これから長い時間をかけてつかんでいきたいとの考えが、言葉の端々から伝わってきた。
それはとても謙虚で、自らまだまだ未熟である旨を隠すことなく、率直な態度を示されていたのである。

平成31(2019)年に上皇陛下から皇位を継承された天皇陛下は、2月23日の誕生日には65歳になられる。
一般の会社員であれば、定年後の第二の人生を歩んでいる年齢だ。しかし、天皇陛下に定年はない。しかも、この65年間、陛下はずっと天皇としての理想像を追い求めてこられた。
あづかれる宝にも似てあるときは
吾子(わこ)ながら かひな畏(おそ)れつつ抱(いだ)く
昭和35(1960)年、徳仁親王を出産し、母となった美智子さまのお歌である。将来の天皇となる生まれたばかりの親王を育てる重責に、身構えるほどの張りつめた思いが感じられる。
どうすれば国民に寄り添い、共に歩む天皇として立派に育てられるのか。上皇さまと美智子さまは、熱心に話されたのではないだろうか。その結果、前例にとらわれない子育て方法を選択され、皇室に次々と新風を吹き込んでいかれたのであった。