陛下の心の中に鮮やかに刻まれた「東京オリンピック」「大阪万博」
足掛け64年もの間、天皇の地位にあった昭和天皇は、確かな記録の残る7世紀以降の歴代天皇の中で、最長の在位期間を誇る。そして令和6年2月23日、今上天皇は64歳の誕生日を迎えられた。
ちょうど陛下の半生は、昭和天皇の在位と同じ歳月を過ごされてきたことになるが、戦後生まれの陛下にとって、天皇となる運命を定められた日々は、どのようなものであったのだろうか。
幼少期から現在まで、その歩みをたどれば、陛下の心に刻まれた出来事は、まさに戦後の昭和史と符合する。
「幼少時の記憶として、昭和39年の東京オリンピックや昭和45年の大阪万国博覧会があります。私にとって、東京オリンピックは初めての世界との出会いであり、大阪万博は世界との初めての触れ合いの場であったと感じております。《中略》(東京オリンピックの)閉会式において、各国選手団が国ごとではなく、混ざり合って仲良く行進する姿を目の当たりにすることができたことは、変わらず持ち続けている、世界の平和を切に願う気持ちの元となっているのかもしれないと思っております。大阪万博では日本のパビリオンはもとより、外国のパビリオンも多数回り、世界にはこんなにも多くの国があり、一つ一つの国がさまざまな特色を持っているのだということを目の当たりにしました」(令和2年、お誕生日に際しての記者会見)
東京オリンピックが開催された時、天皇陛下(当時は徳仁親王)は4歳。世界93の国と地域から選手たちが集まり、彼らの喜びの笑顔は、国籍や人種、文化の違いを超えて、まさに世界は一つだと印象づけるものとなった。
その光景は、まだ幼かった陛下の心に鮮やかに刻まれ、世界への目を開かせるきっかけとなったのである。
10歳の時に開催された万博では、近未来の華々しいテクノロジーに触れ、まだ見ぬ21世紀という時代に心を躍らせたことだろう。
幼い日のこうした経験は広い世界を意識し考えるうえで、その後の人生に大きな影響をもたらすものとなったはずだ。