『孫子』を読む者同士で熾烈な争い

『孫子』といえば、武田信玄の愛読書として知られる。信玄は『孫子』にある「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の略称である『風林火山』を旗に採用しているくらいだ。

「兵は詭道なり」(戦争の基本とは、敵をあざむくことにある)

『孫子』の「計篇(始計)」にある言葉だが、戦国時代を生き抜くための基本精神といっても過言ではない。

 なかでも、計略をよく用いたのが信玄だった。「三方ヶ原の戦い」で惨敗したときには、改めて兵法書を読み込まねば、と家康は考えたのではないだろうか。

 信玄が病死したのちに、家康は織田軍と協力して、武田勝頼が率いる武田軍と激突。

「長篠・設楽原の合戦」が繰り広げられると、重臣である酒井忠次の秘策に家康は耳を傾けた。

 忠次の案とは、武田軍が築いた「鳶ヶ巣山砦」こそが長篠城の急所だとして、奇襲攻撃をかけるというもの。リスクの高さから信長は却下するが、家康は「面白い作戦だ、実行せよ」と決行を指示。忠次の奇襲は見事に成功し、武田軍の退路を断ったところに、信長軍の鉄砲戦術が炸裂し、宿敵の武田軍に勝利することができた。

『孫子』では「卒を見ること嬰児のごとし」とあり、「兵を我が子のように思え」と説いている。

「三方ヶ原の戦い」では部下の危惧を無視して暴走し惨敗した家康だったが、「長篠・設楽原の合戦」では、部下の意見を採用して勝利に導くことできた。