書物を愛して約1万冊の蔵書を誇る
幼少期の家康を指導した雪斎は「駿河版」という印刷事業も行っていた。それを見習って、家康もまた晩年は「伏見版」「駿河版」と印刷業を手がけている。書物を読むことの大切さを、家康が雪斎からよく学んだからこそ、同じことをやろうとしたのだろう。
家康の私設図書室である駿河文庫は、約1万冊の蔵書を誇る。和書ならば、『日本書紀』『続日本紀』『延喜式』『吾妻鏡』『建武式目』『源平盛衰記』、漢籍ならば『貞観政要』『周易』『論語』『中庸』『大学』『六韜』『三略』『史記』『漢書』『群書治要』などを所持していた。それらの蔵書のすべてを読んでいたわけではないだろうが、読書好きの家康のことだから、かなりの書物に目を通していたのではないだろうか。
家康がいかに読書に励んだかについては、家康の侍医を務めた板坂卜斎が、次のように記している。
「家康公は和漢の古典籍を愛好した。僧侶や能書家、朱子学者などと学問談義をよくしていた。詩作・和歌・連歌などは好きではなかったが、中国の儒書・史書・兵学書、日本の延喜式・吾妻鏡などの書物を愛読していた。漢の高祖(劉邦)の度量の大きさに感心したり、唐の太宗や魏徴らを褒め讃えたりした。日本では源頼朝の話を常々された」
国境どころか時代さえも、一瞬にして飛び越えられるのが、読書の醍醐味である。家康はそのことをよく理解していたのだろう。
頼朝が日本で初めて武家政権を築くにあたって、どれだけの困難を乗り越えたことか──。家康の生涯には数々の悲劇と困難が降りかかったが、『吾妻鏡』を読みながら脳内でタイムスリップしては、そう自身を叱咤激励したのではないだろうか。