桶狭間の戦いの弔古碑(愛知県栄町、2012年撮影)写真:maple/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ
2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長にスポットライトが当てられ、そのユニークな視点で話題を呼んでいる。天下人となる秀吉(演:池松壮亮)を、秀長(演:仲野太賀)は右腕としていかに支えたのだろうか。第4回「桶狭間!」では、今川義元が率いる大軍に対して、織田信長は何ら策を講じず家臣たちをあきれさせたが……。今回の放送の見どころについて、『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
「奇襲の桶狭間」はどこから生まれたのか──参謀本部『日本戦史』の影響
窪地に陣を張って、のんびり宴会をする今川軍。どっしりと座った大将の今川義元が満足そうに「戦は勝ち戦じゃ」と言って、家臣にこう呼びかける。
「酒を配れ。一休みしてゆっくり清洲の城へ向かおう」
昭和34(1959)年に公開された映画『風雲児 織田信長』でのワンシーンだ。織田信長を萬屋錦之介が、今川義元を柳永二郎が演じている。
数に勝る今川軍がすっかり油断している様子が伝わってくるが、まもなくして大雨が降り、びしょ濡れの織田軍が馬に乗ってなだれ込んでくる。奇襲攻撃を受けた今川軍は総崩れとなり、大将の今川義元は討ち取られてしまう――。
この映画に限らず、「桶狭間の戦い」は、小説やドラマでそんなふうに描写されてきた。「今川軍の本陣に対して、織田軍は大回りして背後や側面から奇襲をかけた」という“迂回奇襲説”が長く通説として、フィクションの題材に取り入れられてきたのだ。
迂回奇襲説は、明治32(1899)年に日本陸軍参謀本部が発行した『日本戦史 桶狭間役』などで唱えられて広まった。その『日本戦史 桶狭間役』が下敷きにしたのが、江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵(おぜ ほあん)による信長の伝記『信長記』である。
だが、『信長記』は、信長の家臣・太田牛一(おおた ぎゅういち)が著した『信長公記』の記述に、自身の見解を加えて改変したものであり、それが長らく信じられてきたことになる。
そんな中、昭和57(1982)年に、歴史・軍事史研究家の藤本正行が『信長公記』の記述に立ち返って検証したことによって、“正面攻撃説”が打ち出された。