「朱子学→徂徠学→西洋哲学」への転換

 西は、朱子学の超越的な「天理」を斥けることで、道徳や社会制度は発見されるものではなく、人間によって「構築」されるものであるという世界観を確立した。社会は人間が作り出す人工物であるという、この人間中心主義的な視座こそ、後に西が西洋の政治学を、単なる異国の知識としてではなく、国家を合理的に設計するための技術として把握するための、不可欠な哲学的下準備となったのだ。

 ここに、「朱子学→徂徠学→西洋哲学」という、西の知的発展の連続性が見て取れる。徂徠学への転向は、西の中に批判的合理主義の精神を芽生えさせ、彼を「近代日本哲学の祖」へと導く運命的な第一歩となった。

 絶対的な真理を疑い、現実社会に有益な知を求めるこの新たな思想的立場は、もはや藩校の学問という枠組みに収まるものではなかった。彼の知的好奇心と時代認識は、必然的により広範な知の世界、すなわち西洋の学問(洋学)へと向かうことになるのだ。

 次回は、ペリー来航黒船の衝撃と西への影響、西の脱藩の実相、その後の洋学修得へのまい進の経緯や洋学転身の本質について、詳しく述べてみたい。