ベースボールは米国の文化産業であり、国家的な「原風景」だ。そのスポーツの頂点を示す映像として、世界が記憶したのは「星条旗」ではなく「日の丸」だった。しかも決めたのは米国のMLB球団に所属する日本人であり、米国側にとって最も認めざるを得ない形で“アメリカの檜舞台”を使って勝ち切った。
ここが重要である。WBCは五輪やサッカーW杯のように今のところ、国家が全面に出て運営する大会ではない。MLBが大きく関与し、ビジネスとして回す「興行的側面の強い国際大会」だ。だからこそ勝敗は国威だけでなく興行の主役、つまり誰が顔になるのかという問題にも直結する。
大谷翔平という「突出しすぎた」存在
2023年の第5回大会の結末は米国に「次は勝つ」という競技的な課題だけでなく「主役を取り返す」という産業的課題も突きつけた。
大谷はMLBにとって最大級の資産だ。視聴者を引き込み、球場へ動員し、グッズとSNS、放映権も駆動させる。海外市場に向けて「MLBブランド」を説明する際、最も強い説得力を持つ存在でもある。大谷の価値が上がること自体は、MLBにとってプラスである。
だが、ここから先は組織論になる。スターの個性が強すぎることは、時にリーグ全体の均衡を壊す。ビジネスの世界でも、ある一社・ある一人に注目が集中し過ぎて特化されると周辺の物語が薄くなる。
これまでMLBが歴史的に得意としてきたのは「群像劇」だ。球団が30あり、都市ごとに物語があり、ヒーローも複数いる。スターの競演こそが商品価値だった。
ところが近年、特にここ2年ほどの空気は極端に「オオタニ中心」になっている。ワールドシリーズ、MVP、二刀流、そして「世界が理解できる英雄譚」。これは国境を越える一方で、米国内の一部に複雑な感情を生んでいる点は否定できない。