流産したヨーロッパ防衛共同体
EUは、ヨーロッパから二度と戦争を起こさないために構想され、実現したものである。したがって、ヨーロッパ統合の過程で、市場や通貨のみならず、軍隊の統合が議論されるのは当然である。つまり、単一通貨ユーロのような、単一のヨーロッパ軍を形成しようという試みである。
フランスのルネ・プレヴァン首相は、1950年に欧州防衛共同体(European Defence Community、EDC)を提唱した。
先述したように、近代史はフランスとドイツの戦争史であり、ヒトラーのパリ占領に見られるように、単独では、フランスはドイツに敗退してきた。フランスにとっての安全保障とは、対独安全保障であった。しかし、米ソ冷戦が進む中で、西側として東側の脅威にどう対峙するかという問題が最優先課題となってきた。
そこで、1949年にNATO(北大西洋条約機構)が発足したのである。アメリカは、1955年には西ドイツを再軍備させてNATOに加盟させた。アメリカは、そのことが、西側の対東側結束を強め、同時にドイツの軍事的脅威を取り除く方法だと考えたのである。
しかし、歴史的にドイツの脅威にさらされてきたフランスは、アメリカが構想する西ドイツの再軍備とNATO加盟を阻止する方法を模索し、ヨーロッパ防衛軍構想をプレヴァンが持ち出したのである。このEDCには、フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス諸国が加盟する計画で、1952年5月27日にはEDC条約が調印された。これが実現すれば、超国家的な汎ヨーロッパ軍が誕生するわけで、ドイツ軍の復活はありえない。
ところが、この構想はフランス議会で批准されず、流産した。ドゴール派の議員が、1954年8月30日に国会の投票で反対票を投じたために、264票対319票で否決されたのである。「汎ヨーロッパ軍はフランスの主権を侵す」というのが反対の理由であった。イギリスやアメリカはEDC構想には消極的であった。