爆殺された張作霖(写真:近現代PL/アフロ)爆殺された張作霖(写真:近現代PL/アフロ)

2025年は昭和100年にあたる。令和の今、昭和を生きた先人からから学ぶことは何か。約60年間にわたり昭和史研究を続けた半藤一利氏(1930-2021)が、「激動の昭和」の幕開けとなった「張作霖爆殺事件」を語る。全3回の2回目。(JBpress編集部)

(半藤一利:作家)

※本稿は『新版 昭和史 戦前篇』(半藤一利著、平凡社)より一部抜粋・再編集したものです。

第1回 「張作霖爆殺事件」日本軍による暗殺とバレた銭湯でのマヌケな失態からつづく。

 年が明け、一日も早い報告を待っている天皇は、侍従長や侍従武官長らに盛んに訊ねますが、田中義一首相はまた知らん顔をしている。そうこうしているうちに、真相はどんどんばれてきます。

 奉天の林久治郎(はやしきゅうじろう)総領事が事件を調査し、銭湯での証言なども出てきて、陸軍の謀略ということがより具体的になってきますし、首謀者は関東軍参謀の河本大作(こうもとだいさく)大佐であることもはっきりしてきました。

河本大作(写真:共同通信社)河本大作(写真:共同通信社)

 何人かの中国人に彼が機密費を渡し、もっとも金に困っていそうな阿片中毒の男二人を使って列車を爆破させたように装わせ、同時にその二人をも殺した、またやらせた中国人は奉天から逃した、というような経緯が明らかになってきました。

口止め料と逃亡費の出所は前陸軍大臣

 実は、今となると証拠物件が残っているのです。

 たとえば昭和4年7月23日付、陸軍大臣を辞めた直後の白川義則から、立憲政友会の大物で、やはり鉄道大臣を辞めた小川平吉に宛てた書簡がある。その終わりの方に、

「今朝、御電話の件につき、ようやく三千だけ調え候あいだ、然るべくお取り計らいくだされたく候。申すまでもなく、すでに交代後につき、今後は小生の手にてはもはや処置致しかね候次第、御了承下されたく候。敬具」

とあります。つまり、3000円だけ渡す、ただ陸軍大臣を交代したので、今後のことはもう面倒を見るわけにはいかない、という内容ですね。

 続いて7月30日付の工藤鉄三郎・安達隆成(たかなり)による小川宛ての電報です。

「御厚意謝す。三〇確かに受け取った。工藤・安達」

 これらを合わせますと、これまでにも白川が小川に渡した機密費が、河本大作が利用している工藤・安達という男に渡った、彼らがそれで張作霖派の中国人を使って謀略を行なわせた、その工藤・安達に後始末料と逃亡費および口止め料として、これで終わりだぞと念を押して3000円を渡したことがわかるわけです。