「ために(田中首相の責任をあくまで追及すると)政変の起こる事も予想せらるるところ、これは政治上ありがちの事にして、さほど心配する事にあらざるべきも、大元帥陛下と軍隊の関係上、内閣引責後本件を如何に処置すべきや、……善後の処置をあらかじめ考慮し置くべき必要あるべし」

 要するに、責任追及によって政変が起き、田中内閣がひっくり返るかもしれない。しかしそんなことはよくあることなので心配しなくてもよい。ただし、これによって大元帥陛下(天皇)と陸軍との関係がぎくしゃくした場合にはどうするべきか、あらかじめ考えておいたほうがいいんじゃないか、ということです。

 つまり天皇の側近たちは、田中総理大臣が前言を、それも天皇に対してあっさり翻した、というのは臣下としてあってはならないことであり、あくまで責任を追及する態度なわけです。

天皇自らが首相に辞職勧告をする騒動に

 そこで牧野さんは西園寺さんとの会談後の5月11日に、元海軍大将で侍従長の鈴木貫太郎(終戦時の首相)と会ってまた相談します。

牧野伸顕(写真:近現代PL/アフロ)牧野伸顕(写真:近現代PL/アフロ)

 これも牧野伸顕日記によりますと、

「前後の真相の内奏相容いれざる事ありては聖明を蔽う事となり、最高輔弼者として特にその責任を免れず、……聖慮のあるところ御尤もと存上げ奉る次第なれば、折を以てその趣を上聞に達せられたく依頼せり。侍従長も全く同感なりと云えり」

 つまり、天皇陛下への田中首相の報告がごまかしだとすると、陛下の判断を曇らすことになる。総理大臣としては責任を免れることはできない。陛下がお怒りになってけしからんと思うのは当然だろう。西園寺さんと私は、少々問題が起こるかもしれないが、あくまで田中の引責辞職を求めるのが正しいと決めた。したがって侍従長にはその旨を天皇陛下に申し上げてほしい、ということです。

 これを受けて鈴木侍従長も、これ以上勝手なことをさせないよう軍をしっかり引き締めておかないと将来のためによくない、天皇陛下には、再び田中を呼び出して「辞職せよ」というふうに自ら言っていただいたほうがよいだろう、機会をみてそう申し上げましょう、と同意したのです。

 西園寺元老、牧野内大臣、鈴木侍従長という天皇側近のトップ3人が決めたことですから、いずれ鈴木侍従長が天皇に奏上することによって話がまとまるはずなんです。