21世紀の大卒は戦前の尋常小学校卒?
こうした状況が出来上がって来た背景には、戦後の民主主義体制下「皆一緒でないとかわいそう」といった教育現場感情も深く関わっているように、当の先生たちから聞き及びます。
また子供の将来を考えたとき、履歴書に留年歴があることは長く不利に働くといった判断など、様々な背景要因があり、一朝一夕に評価することは難しい。
ですから、変革は「至難」と考えておいた方が現実的そうです。
つまり、日本の公教育で「卒業時点」での「学力の達成水準」に実質的な最低水準を設けることは、多分今後も、少なくとも2050年時点ではできていないでしょう。
2050年と言えば、後たかだかか26年。
私が東大に着任した1999年からちょうど26年ですから、この間の経緯を実体験に即して考えるなら、まず教育全体の体質改革は不可能と思っておいた方が無難と思います。
国際的な意味での「高等教育」は、日本では「一部の大学院」で実施されると考えるのが現実的でしょう。
各国の大学院進学率を見てみると世界トップはフランスの39.29%、以下ポーランド、ベルギー、ノルウェーと欧州勢が続きます。
フランスは大学進学率も64%と非常に高いですが、教育は「修得主義」原則で、大学入学資格試験「バカロレア」を通過しないと進学は不可能です。
非常に民度の高い教育制度が敷かれ、これにより旧植民地出身者などの知的水準の引き上げが実現、犯罪の抑止などにもつなげようとしている。
欧州では「学部」は基礎教養を身に着ける場で、専門のスキルは大学院という社会認識が定着しているから、何かスペシャリストになろうと思えば院修でないと話にならない。
MBAなどプロフェッショナル・スクールが一般化している米国ですら同世代人口に対して10%程度の大学院進学率です。
日本は修士で推定5.5%、博士は0.9%。
「足の裏についた米粒」などと言われ(取らないと気持ち悪いけど、食べられない)、「専門スキル」が問われない、素人キャリアが跋扈する典型的な「後進国型」に、定着し切っているからです。
小学校の算数ができない高校生や、中学英語に難がある大学生、いや大人でも構いません、そういった存在がごく当たり前、というより社会の前提常識になっている現実を、直視する必要があるでしょう。
良くも悪しくも、これは1945年8月15日以降、より正確には1947年3月31日以降の戦後教育の話です。
戦前の欽定憲法下、義務教育には厳密な「出荷時点の品質保証」が求められていました。
どういうことか?
「国民皆兵」です。
好むと好まざるを問わず、男子は成人に達して赤紙が来てしまったら、大日本帝国陸海軍、2等卒以上の階級で徴兵されることが義務付けられていた。
筆者の父も1944年、旧制の大学1年次で「学徒出陣」、陸軍の最下級兵士として関東軍に配属され、戦後はシベリア抑留で青春、というより人生の大半を失いました。
戦前日本の公教育では、少なくとも男子に関しては、兵隊になったとき最低限の使い物になるだけの能力、銃弾の数を数えたり、敵陣を偵察に行ったり、現地で簡単に測量して装備の配置を決定したりといった、戦場で現実に命をつなぐために必要な力がなければ、お話にならなかった。
長年の読者はご存じの通り、筆者はそこそこ折り紙のついたハト派ですが、ことこうした教育の「水準確保」に関して、戦前の「国民皆兵教育」が一定の効力を発揮していた事実は否めません。
1935(昭和10)年から43(昭和18)年まで、つまり5.15事件から、山本五十六長官が撃墜死し「アッツ島」の玉砕があった戦時の曲がり角の時期まで、日本の教育で唯一用いられていた国定の「尋常小学算術」教科書がありました。
いわゆる「緑表紙」で、これについては本連載で幾度も取り上げていますので、ご存じの読者が多いかもしれません。
文字が一切登場しない「1年上」、マンガから始まる「1年下」に始まって(初年次の生徒の中に「手塚治少年」もありました)、小学6年では「測量」「機械」「歯車」から「利息計算」「貿易収支」など、そのまま実社会で(とりわけ戦地で)通用する内容は、ただただ実践的、現実そのものの高度さです。
死亡統計の実データなどを小学6年生に提示して考察させている。
こんな教材は、今の教育制度の下、小中学校で実施することはできないでしょう。
私はコロナ禍が激しかった2020~21年にかけて、東京大学教養学部でのゼミナールで、各国各地の死亡統計、実データに基づく統計解析をカリキュラムにしましたが、学生諸君の目は真剣そのもので、「温室」のデータを使わない「本物」の大切さを思い知った経験があります。
いまの東大で、昭和10年代の「尋常小学算術」の問題を出題しても、東大生諸君はほとんどまともに答えることができません。
少なくとも東大に関する限り、いまの教養学部生の大半は昭和10年代の国定教科書、尋常小学算術のレべルにおよそ追いついていけない。
東大の例だけ語るのは危険ですが、概して「21世紀日本の大学生の学力達成水準」は「1930年代日本の尋常小学校算術」の水準と良くて同程度、しばしばその水準に達していないレベルというのが、大学で教えて四半世紀を超えた私の、偽らざるところです。