しばらく前「ケーキの切れない非行少年たち」が話題になりましたが、このような「境界知能」の水準にある人が、一世代の中に約16%程度。つまり7人に1人程度、存在していると考えられます。
これに、知的障害の約2%を加えると、同世代人口の18%程度、2割弱ほどは、健常者と同一の知的活動を行うのに難があると考えられる。
逆に言えば「健常者」とは、同世代人口の82%程度が処理できる知的作業をこなせる人を指す言葉であることが分かります。
つまり「健常」な労務作業、例えばコンビニのレジ打ちとか、商品の配置程度の仕事にも難がある人は社会に常に一定割合存在しており、そうした人々もネットに接続し、あらゆる種類のフェイク情報、犯罪者の仕掛けた見え見えの罠でも、見破ることができない。
「1日15万円」などという「仕事」を「これはいい!」と真に受けてしまったりする。
最近、大きく社会問題化している「闇バイト」でも、特殊詐欺の「受け子」などに境界知能、ないし軽度知的障に相当する人が利用されている可能性が、すでに指摘されています。
そもそもが、「ケーキの切れない」でも示されたように少年院収容者に境界知能が見られ、学校が収容しない、そうした人々が暴走族などを経て、かつてはヤクザ、暴力団に吸収、鉄砲玉などとして、常人ではあり得ない行動を取ってきた。
ところが暴対法以降、ヤクザは新人獲得が困難になり、その虚を突いて半グレやら犯罪組織やらが「匿流(トクリュウ)犯罪」の「トカゲのしっぽ」として、こういう人々を利用している。
こうした経緯にも、短くない「歴史」があるようです。
「ちょっとトロいけど、あいつ使えるな」といった形で、悪人が知的な弱者を利用してきたわけです。
一方で、学校もそうした子供たちを受け入れなければ、社会からの疎外の片棒を担いでいたことになるかもしれません。
さて、ここで思い出していただきたいのが、先ほどの「高校進学率95%」という数字です。
明らかに、82%<95%ですから、現在の日本で高等学校に進学する人の中には、ざっくり1割程度は「境界知能」領域に重なる人がいて不思議ではありません。
先ほどの「大学・短大・専門学校卒」の割合も、戦後の高度成長初期には2割台だったものがほぼ単調に増加して平成20年代以降8割を超えているもので、早晩85~90%をうかがう可能性が考えられる。
つまり、「大学・短大・専門学校卒」の中に「境界知能」領域や、それに隣接する知的レベルの学生・生徒が、現在も進学している可能性があるし、その傾向はさらに強まると考えられます。
これは筆者の実感とも重なり合います。
私自身が非常勤で教えた中にも思い当たるケースがありますし、かつての筆者の学生で、ある私立大学に講師として常勤で務めた某君は、小学校レベルの算数に難がある「大学生」に、補修で基礎学力を教える「リメディアル教育」を担当していました。
かなり手をかけても小学生レベルがどうにも理解できない大学生が、クラスの中に数名程度が残ってしまう・・・。
つまり、「小学校レベルに難がある大学生」が1クラスの中に数人存在する。先ほどの「境界知性」存在割合の議論と重なる現実が、21世紀日本の大学で実際に確認されるわけです。
こうしたことが、日本では制度的に可能なんですね。なぜなら我が国の教育基本法、学校教育法、また学校教育法施行規則は「修得主義」ではなく「履修主義」の立場に立つ場合が多いからです。
例えば、高校の卒業については次のような具合に形式化されている。
「校長は、生徒の高等学校の全課程の修了を認めるに当たっては、高等学校学習指導要領の定めるところにより、七十四単位以上を修得した者について行わなければならない(以下略、施行規則96条)」
仮に学科の成績が振るわなくても、
現実には、特に小中学校で「原級留置」(つまり留年)が行われることは「まれである」と文科省の資料にも明記されるように、形式的、横並び的に進級させ、卒業させてしまう風土が定着しています。
少子高齢化の中、大学が受験生を定員いっぱいまで取ろうとすれば、結果的に学力的には底が抜けた入試成績でも、キャンパスに学生を迎え入れなければ経営が成立しない。
そういう現実を直視する必要があるかと思います。
率直に言って、現状の日本の大学全体を国際的な基準で「高等教育機関」と呼ぶことができるかと問われれば、疑問を呈さざるを得ないかもしれません。
というのも、日本の公教育には卒業時点=「社会への人材出荷時点での品質保証」が実質的に存在しないのです。