政党はデモクラシーの水準を上げる努力を怠っている

 友人の選挙を初めて手伝ったとき、本人から「明日は選挙の公示日です。12日間お祭りになります。存分に楽しんでください」と言われました。最初は冗談か陣営をリラックスさせるための配慮かと思いましたが本音でした。

 たった12日で数十万もいる有権者に、がんじがらめの規制と制限でやる運動で、ほとんど何も伝えられませんから、選挙はもう公示日に実質終わっていて、選挙運動とは「公示日までにどれだけのことができたか」で決まるということです。

 しかも、公示前は「政治活動期間」だから、個人の候補者への投票を呼びかけるような行為は禁じられています(事前運動の禁止)。

 つまり、自分への投票を促すようなことはできない中で、次に「もう公示日を過ぎたら訴えを浸透させる暇もなく動向も左右できない」という状況で、相手より1票でも多くの票を取るという「ウルトラC」をやらされるということです。明らかなのは、かれこれ何年もそういうことをやり続けてきた現職候補者が圧倒的に有利になるということです。

 取締法的な性格は別の形でも表れます。それは各種選挙における立候補者が負担する「供託金」が驚くほど高いことです。衆議院選挙では300万円、比例代表との重複立候補になると600万円です。一定数の票を獲得できないと、これらのお金は全部お国に回収されてしまいます。諸外国では供託金という制度が存在する国のほうが少数派です。

 この制度も、「ロクでもない連中が売名行為や他候補の妨害のために好き勝手に立候補をするだろうから事前にできにくくしておく」というロジックであって、やっぱり人々への基本的信頼がありません。

 そういう事態となる可能性はもちろんありますが、これは制度のせいだけではなく、政党がきちんと候補者を吟味したり教育したりして、候補者を提供する側としてデモクラシーの水準を上げる努力を怠っているからです。

 英国の大政党では、600もの選挙区に出す候補者を各地域で予備選や面接試験などを経て選んでいます。恥ずかしくない候補者を出せば泡沫候補など相手にもならないのです。