政治家の資質向上を図る議員定数、選挙制度改革の再検証を

「政治改革」でいえば、議員定数、選挙制度改革についても再度徹底検証が必要ではないだろうか。

 定数是正をめぐっては小手先の見直し論が続けられてきたが、人口大幅減社会を迎えていく中で議員定数の総数も一定程度削減してしかるべきである。70歳、80歳を過ぎた高齢議員、議場で居眠りばかりしている議員、議員立法を一度も行ったことがない議員……。衆参両院の議員定数の見直しは行財政改革の目玉にもなるし、政治家の資質向上を図る上でもメリットは大きいはずだ。

 選挙制度はどうだろうか。現行の小選挙区・比例代表制が、政治改革関連三法案(公職選挙法改正案、政治資金規正法改正案、政党助成法案)として提出されたのは、平成3年(1991年)8月の臨時国会だった。時代は海部(俊樹)政権である。

 この時は証券不祥事があって審議入りが遅れた上、野党だけでなく与党内からも反対論が出たりして、結局廃案となった。

 その後、海部政権に代わって11月に宮澤(喜一)内閣が誕生。宮澤政権下では自民党、野党それぞれが改正案を国会に提出して審議したが、野党から宮澤内閣への不信任決議案が提出され、自民からも賛成者が出たため可決され、衆院は解散となった。

 総選挙後の平成3年8月にできたのは非自民8党派の連立政権である細川(護熙)内閣だった。この政権では内閣提出案と自民党提出案が政治改革特別委員会で長時間審議された。衆院では与党提出の修正案を可決、内閣提出法案を修正議決する形で参院に送り、特別委員会では可決されたが、本会議では否決されてしまう。

 最終的に土井たか子衆院議長のあっせんを経て最後は細川総理と河野洋平自民党総裁(河野太郎デジタル相の父親)との会談で、総定数500人、小選挙区定数300人、比例代表定数200人などの内容で最終合意。最終的な政治改革関連四法案の成立は平成4年3月だった。1994年、今から30年前の話である。