(科学ジャーナリスト:添田 孝史)
阪神・淡路大震災当時、震度は職員の「体感」で決められていた
南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が初めて発表され、その後も各地で揺れが続いている。グラっと揺れを感じたら、すぐにスマホや放送で震度を調べる人も増えたことだろう。
今は強い揺れを記録する地震計(強震計)が日本中に張り巡らされているから、震度の分布はすぐにわかる。発表される震度で、日本地図が埋め尽くされるほどだ(地図1、2024年1月の能登半島地震の震度分布)*1。
30年前の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)のころは状況が全く違い、震度観測点はまばらにしかなかった(地図2)*2。当時、強震計は少なく、震度は気象庁の現地職員が体感で決めていた。
揺れの様子を詳しく知るには時間がかかり、震度7の地域が、淡路島北部から兵庫県宝塚市にかけて細長い帯状に延びていたと気象庁が現地調査をしてから発表したのは、地震から3週間もたってからのことだ(地図3)*3。