米駆逐艦「マッキャンベル」内の「戦闘指揮所」で、巡航ミサイル「トマホーク」の導入訓練をする自衛隊員(写真:共同通信社)米駆逐艦「マッキャンベル」内の「戦闘指揮所」で、巡航ミサイル「トマホーク」の導入訓練をする自衛隊員(写真:共同通信社)

 3月4日、米トランプ政権で国防次官に指名されたエルブリッジ・コルビー氏は、議会の公聴会で、対中を意識して日本の防衛費をGDP比3%にするべきだと主張した。バイデン政権からの要請で一気に倍増した日本の防衛費はまだまだ上がるのか。どこまで増やせば十分と言えるのか。『軍拡国家』(角川新書)を上梓した東京新聞記者でジャーナリストの望月衣塑子氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──1967年4月に、衆議院決算委員会で「武器輸出禁止三原則」の原型が定められた、と書かれています。この原型とはどのようなものだったのでしょうか?

望月衣塑子氏(以下、望月):当時、三木武夫首相がこの三箇条を読み上げました。

①三原則の対象地域については武器の輸出を認めない。
②三原則対称地域以外の地域に関しては武器の輸出を慎む。
③武器製造の関連設備の輸出についても武器に準じて取り扱う。

 この三原則は実質的な武器輸出の禁止だと言われてきました。三木内閣で外務大臣を務めた宮澤喜一氏が国会で答弁していますが、その中には、輸出三原則に込めた平和国家としての思いが語られています。

 今回の本ではその時の答弁を掲載しています。

 この中で私がぐっときたのが、「わが国は兵器の輸出をして金をかせぐほど落ちぶれてはいないといいますか、もう少し高い理想を持った国として今後も続けていくべきなのであろう」と述べている部分です。

 海外の先進国は、しばしば武器輸出で稼いできました。どこかで戦争があれば軍需産業は潤います。アメリカの経済は、そうした産業に支えられています。そこで生まれた技術が民間のイノベーションに貢献することもあります。

 そうした利益はあるものの、私がロッキード・マーティンなどの研究者や社員などと話をしてショックを受けたのは、博士号を持っているような超エリートたちが「アメリカの国益だから」と言って高い殺傷能力のある武器を開発して、直接的にあるいは間接的に戦争に加担することに疑問を感じていなかったということです。

 だからこそ、前述の宮澤氏の言葉が重要に思えるのです。

 こうした考え方こそ、核兵器の開発を続けるアメリカやロシア、さらにそこに追随して勢いを増す中国などに、本当は突き付けたい重みのある言葉です。憲法9条があり、第2項があり、そこに準じて武器輸出三原則を作った三木内閣の敗戦から学んだ精神性は、安倍政権以降の自公政権には抜け落ちているものだと思います。

──2023年12月、「防衛装備移転三原則とその運用方針」が改訂され、戦後初めて殺傷能力のある武器を日本が輸出できるようになったと書かれています。