三内丸山遺跡。1万年続いた縄文時代に日本人が自己家畜化したという(写真:共同通信社)三内丸山遺跡。1万年続いた縄文時代に日本人が自己家畜化したという(写真:共同通信社))

 日本には空気を読む精神風土がとりわけ強いと言われる。空気で決まるということは、必ずしも論理的に物事が判断されていることを意味しない。そして、なんとなく合意されているからこそ、異論を口にすることも憚られる。なぜ日本人ばかりがこうも空気に敏感なのか。『平和の遺伝子 日本を衰退させる「空気」の正体』(白水社)を上梓したアゴラ研究所代表取締役所長の池田信夫氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──新型コロナウイルスのパンデミックを機に、再び「空気」について考えてみようと思ったと書かれています。

池田信夫氏(以下、池田):2013年に『「空気」の構造 日本人はなぜ決められないのか』(白水社)という本を出しました。よく「空気を読め」なんて言いますが、あの「空気」という感覚が、日本人の行動様式に深く関わっていると考え分析しました。

「空気」という言葉を最初に使ったのは評論家の山本七平ですが、じつは同じような日本人論は数多くあり、中根千枝『タテ社会の人間関係』(1967、講談社)や、丸山眞男『忠誠と反逆』(1998、筑摩書房)に収められた『歴史意識の古層』といった論文を含め、皆ほとんど同じようなことを論じています。

 日本人は上からの命令によって物事を判断するのではなく、周りの人たちのやっていることを見て、なんとなくやることを決めるという独特の文化を持っている。丸山眞男はこれを「つぎつぎになりゆくいきほひ」という言い方で表現しました。

 2013年に本を出した時には、根底に「原発に対する人々の反応」というテーマがありました。ひとたび原発が怖いものであるという空気が醸成されると、原発の安全性をめぐる議論を論理的に行うことはもはや不可能になる。

 そのような空気がそう頻繁に醸成されることはありませんが、パンデミックで再び同じ空気ができました。2021年あたりまでのパンデミックの状況は、日本ではインフルエンザとほとんど変わらなかったのに、飲食店を営業停止にして、11兆円もの予算をつぎ込んで対応した。やり過ぎです。

 そこで、あらためて「空気」とは何なのか、より学問的に考えてみたいと思った。それがこの本を書いたきっかけです。

 この本のタイトルは「平和の遺伝子」です。ただ、皆さん思うはずです。「平和が遺伝するわけがないだろう」と。その通りです。普通に考えたら平和という感覚が遺伝するわけがない。

 でも、ある意味ではこの感覚が文化として遺伝しているのです。これが、この本の主題であり、最も理解することが難しい部分でもあります。

──そこに関わるものとして、「自己家畜化」という概念について解説されています。