陣屋ではなく「城」
小藩とはいえ身分がランクアップしたのだから、城持ち大名らしい体裁を整えなければならない。村松藩では、大急ぎで陣屋に替わる城を築くこととなった。こうしてできたのが村松城で、それまでの塀で囲まれただけの陣屋とは違って、小さいながらも堀と土塁に囲まれ、本丸と二ノ丸からなる平城である。
本丸の正面虎口は、城らしく土塁囲みの枡形として、要所には横矢掛りの折も設けた。土塁の上に廻らせる塀には、鉄炮を撃つための狭間も備えた。狭間は、陣屋には許されない装備なのである。もっとも、水堀は長靴を履いたら渡れそうな浅さだし、土塁も申し訳程度のサイズしかない。それでも陣屋ではなく「城」だ、と示したいのである。
こんなふうにしてできあがった村松城も、長くは続かなかった。築城から20年を経ずして戊辰戦争の兵火にかかり、灰燼に帰したのである。城跡は田畑となり、やがて蒲原鉄道の線路や道路が貫通して分断され、城の面影は失われていった。
現在、城跡には小さな資料館が建ち、堀と土塁の一部、本丸の枡形虎口が復元されている。1980年代以降、少しずつ調査が行われたり、蒲原鉄道が廃線となったりする中で、地元の人たちが何とか昔日の姿をよみがえらせたい、と整備してきたのだ。
村松城は、名城でも堅城でもない。はっきりいって「ショボい城」だ。けれども、そんな城にも、他のどの城とも違う歴史がちゃんと宿っていて、知った上で見るなら、その姿は何ともいじましく映る。
名城めぐりや、名城ランキング企画では決して味わうことのできない、ひそやかな歴史の愉しみを、この城は教えてくれる。