(歴史ライター:西股 総生)
堀氏が築城に至るまで
今回は、新潟県五泉市にある村松城という、小さな平城の話を書こう。
村松城という城の名は、よほどの城マニアか、地元の人でなければ知らないに違いない。新潟県の主な城を紹介したような本でも、普通は採り上げられていない。けれども筆者は、なかなかに面白い、一度は訪れてみる価値のある城だと思っている。村松城を築いたのは堀氏という大名であるが、築城に至るいきさつが面白い。
豊臣政権の傘下に入った上杉景勝が越後から会津に転ずると、秀吉は堀秀治を越後に封じた。この越後堀氏はほどなく内訌によって一旦絶えてしまうのだが、傍系にあたる堀直寄が大坂の陣の戦功によって、越後の長岡に、ついで村上に10万石で封じられた。
この村上堀家の分家が、寛永16年(1639)に3万石で安田に入り、さらに正保元年(1644)に村松に移って村松藩が成立した。村上の本家の方は、跡継ぎに恵まれずに断絶してしまったが、村松堀家の方は代々続くこととなった。
ところで、江戸時代の大名は、大きく「国持ち」「城持ち(城主)」「城主格」「無城」にランク分けされている。国持ちは、加賀前田家や薩摩島津家のような大大名。それ以外の大半の大名は城持ちクラス、1〜3万石程度の小さな大名は、城を持つことができないクラスで、村松藩堀家もこのグループだった。
ところが、嘉永3年(1850)になって村松堀家は、にわかに城主格に格上げされることとなった。「城主格」というのは、あまり知られていないが、3万石程度の小大名でも格式上は城持ち大名に準ずる立場で、20家くらいあった。城持ち大名はだいたい130家、陣屋住まいの無城大名は100家くらいだから、城主格はレアな存在といえる。