“ハンマーパンチ”の異名をとる現役女性最強棋士の「強さの秘密」
【上野愛咲美新人王】(2001年10月26日─)
囲碁の世界は、男女同じ土俵で戦う長い歴史がある。それでも、女性がトップに立つことはなかったが、上野愛咲美がブレイクスルーし続けている。
上野を一躍有名にしたのが、2019年、17歳の時の竜星戦で、一力遼八段(現・三冠)を相手にあと一歩まで追いつめた。優勝は逃したものの見事準優勝。そこに至るトーナメントで、高尾紳路九段、村川大介九段、許家元九段と歴代タイトル保持者を倒しての快挙だった。
上野愛咲美新人王(筆者撮影)
そこから女流タイトルを次々と獲得し、5つのタイトルを制覇してグランドスラムを達成する。女流の世界戦センコーカップで優勝。そして若手棋戦の若鯉戦で2連覇し、女性初の新人王にもなった。
さらに今年は、国際棋戦で元メジャーチャンピオンの謝爾豪九段(中国)を倒して女性で唯一ベスト16入りするなど、男女の垣根を越えて活躍中だ。
上野愛咲美新人王(左)/筆者撮影
上野の魅力は何といってもその破壊力だ。プロの石はめったに死なないが、上野はそんな中でも多くの石を殺し、ファンを魅了する碁を打つ。その様は「ハンマーパンチ」と異名がつくほど恐れられている。
たくさんの石を取って勝つのは楽しく、多くの囲碁ファンが目指すところではある。しかし、石を取りにいくことはリスクが大きい。プロとして勝率を上げていくためには地合いで勝つ道を選ぶことが多い。
そのような安全策を指導する棋士が多い中、上野の師匠・藤澤一就八段は、その才能を伸ばす教え方をしている。「愛咲美が子どものころ、置碁指導をしていても、上手の石を猛然と取りにきていました。それなら、石を取るにはどんな勉強をしたらいいのか指導してきました」(藤澤八段)
型破りな指導のもと、型破りな棋風が育ったといえよう。ちなみに藤澤八段は、藤沢秀行の五男である。
「試合の日の朝は、必ず縄跳びを777回する」というルーティンも独特だ。試合当日の朝に運動している棋士は少数派だが、上野はいろいろ試したうえで「縄跳び777回」をすると一番勝率がいいとの結論が出たという。
大胆な棋風とは裏腹に、盤外は綿密で堅実な上野。詰碁は1日最低300題を目標に、大きな試合前には1000題をこなす。作戦ノートを作り、敗戦したら反省文を書き、次に向かって何をしたらいいのかを明文化する。
囲碁AIの分析にも詳しく、しばしば大学教授らとのトークセッションに参加。AIを活用する立場からの意見を述べ、学術的にも貢献している。
明るい性格で誰からも愛される上野は現在まだ22歳。今後も「女性初」を連発し、リーグ入りや名人などタイトルの獲得、そして日本悲願の世界チャンピオンになるなど、囲碁史に輝かしい足跡を残すことは間違いない。
(文中敬称略)
【内藤 由起子(ないとう・ゆきこ)】
囲碁観戦記者・囲碁ライター。1966年生まれ、神奈川県平塚市出身。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。お茶の水女子大学囲碁部OG。会社員を経て現職。朝日新聞紙上で「囲碁名人戦」観戦記を担当。Yahoo!個人オーサー。『棋道web』等に随時、観戦記、取材記事、エッセイ等を執筆している。著書に『囲碁ライバル物語』(マイナビ出版)、『井山裕太の碁 AI時代の新しい定石』(池田書店)、『井山裕太の碁 強くなる考え方』(池田書店)、『それも一局 弟子たちが語る木谷道場のおしえ』(水曜社)など。