ギャンブルで溶かしたお金は数億円、「最後の無頼派」と言われた棋士

【依田紀基九段】(1966年2月11日─)

 藤沢秀行名誉棋聖のあと、「最後の無頼派」と呼ばれたのが依田紀基九段だ。碁を覚えて囲碁棋士を目指したその時から、囲碁中心の生活を送る。

依田紀基九段依田紀基九段(写真:共同通信社)

 小学生の時に北海道から単身上京し、縁あって安藤武夫七段の内弟子となってプロを目指した。学校には行くが、授業中はずっと詰碁を解き続ける。そのため、成績はずっと「オール1」だったという。

 内弟子生活では、与えられた碁盤で棋譜を並べ日々勉強を続けた結果、碁盤の目が剥げ、のっぺらぼうになった。そんな努力と持って生まれた才能で、院生(プロの卵)のころから注目され、将来を嘱望される。

 プロ入り後は新人王を獲得し、18歳の史上最年少(当時)で名人戦リーグに入るなど、順調に実績を積んでいく。

依田紀基九段依田紀基九段(2003年撮影/写真:共同通信社)

 しかし18歳で内弟子を独立し、一人暮らしを始めてから生活ががらりと変わる。新宿歌舞伎町に入り浸り、博打、酒、オンナに溺れるようになった。せっかく入った名人戦リーグもすぐに陥落。対局以外では碁石を握らない生活をすれば自明のことだ。依田の自著『どん底名人』によると、麻雀で1日に数百万円負けることもあったという。

 19歳のころ、依田は恩人の言葉に一念発起して碁の勉強を再開。しかし遊びをすっぱりやめることはできなかった。

 25歳の時には韓国のカジノでバカラにはまり、対局の前日でも行ってしまう。100万円を持っていき、すっからかんになったら終わりのはずが、現場でお金を貸してくれる人がいて、数百万の借金を作る。さらに消費者金融からも借りるほどになった。本人は「意志が弱かった」と述懐している。

 このときは、2つの棋戦で優勝して借金を返済できたというが、バカラから足を洗うことはできなかった。

 その後、名人4連覇などビッグタイトルを取り続けたので収入もあったのだが、東京都千代田区に2億円のマンションを購入して、そのローン返済や小遣いに年間3000万円使うなど、出費も多かった。そんな中、しまいには仕手株に手を出して大きな損失を出してしまう。

 ちょうどそのころ、名人のタイトルを失うなど収入が下がっていたため、結局マンションは売却し、妻子とも別居する羽目に。

 依田がギャンブルや投資で溶かしたお金はトータルで数億円。棋士は金銭的にも浮き沈みの激しい世界である。18歳で2000万円稼いでいても、それが何歳まで続くか分からないし、50代で同じだけ稼げる保証はどこにもない。

 還暦を前にした依田は現在、「もう一度タイトルを獲りたい」と真摯に対局に向き合っている。