「医療機器での治療全般に言えることですが、装置のあるところまで患者さんに来ていただく必要がありますから、装置が広く普及しなければ、たくさんの患者さんを集めてデータを出すことができません。抗がん剤などお薬であれば、全国レベルで大規模な臨床試験を組むことはそう難しくないでしょうが、BNCTは国内で数カ所しかないわけですから、大規模なデータを集めることは不可能に近い。けれども、そうしたデータがなければ研究開発も進まないという、非常にもどかしいところにあります」(同)
現在、井垣氏はどのタイプの加速器でも同じ治療効果であることを示すガイドラインを日本中性子捕捉療法学会から出せるように作成を進めているそうだ。
「加速器がどのタイプであっても、同じBNCT用なのだという基準ができれば、治験を行う地域が広がりますし、参加する患者さんの負担も減ります。世界にも応用できる基準となれば、さらに多くのがん治療につながるでしょう」(同)
放射線治療装置のように日本産業規格(JIS)や国際電気標準会議(IEC)で国際標準化された規格に沿っていれば、方式やメーカーが違っても問題はないはずだ。そうなれば臨床試験を国内で組みやすくなり、研究が加速して治療できる疾患が増えるかもしれない。また、日本がリードしてきたBNCT技術を世界に向けて輸出することも可能だろう。
日進月歩で開発が進むがん治療薬の登場も一因に
BNCTの普及を難しくしているもうひとつの要因は、(患者にとってはありがたいことなのだが)化学療法の進化だ。特に免疫チェックポイント阻害剤の登場が大きい。
「悪性黒色腫のBNCTは、1987年に研究用原子炉を使って臨床研究が開始されました。BNCTでは必須アミノ酸のフェニルアラニンにホウ素原子が結合したBPAと呼ばれる薬剤をがん細胞に取り込ませます。悪性黒色腫は、フェニルアラニンから合成されるチロシンがメラニン合成の前駆物質であることから、他のがんよりもBPAの取り込みが強く、BNCTが非常に有効だという理論的な根拠があります。
また、再発すると従来の殺細胞性抗がん剤も放射線治療もほとんど効かないために、予後が非常に厳しいがんであり、免疫チェックポイント阻害薬や分子標的薬が登場するまでは太刀打ちできない相手でしたから、BNCTプロジェクトが始まった2010年時点では悪性黒色腫で治験をスタートしようとなったのです」(井垣氏)
国立がん研究センターの治験がスタートした2019年の段階では、すでに3種類の免疫チェックポイント阻害薬が悪性黒色腫に対して承認されている。今では5種類の分子標的薬も使えることに加え、「がん遺伝子パネル検査」によって、個々の患者に効果のある薬剤を見付ける方法もある。結局、悪性黒色腫を治療する手段が格段に増えていたために治験に参加する患者が十分に集まらず、第Ⅱ相試験は行われなかった。