金正恩はいかにして「首領」の座をつかみ取ったのか?

平井:いいえ。先軍思想は、あくまでも危機を乗り越えるための思想に過ぎません。社会が安定してくれば、党より軍が力を持つようなあり方には違和感があります。金正日自身も、そう考えていたはずです。

 2008年に金正日の健康状態が悪化し、2009年1月に金正恩が後継者に決定します。その後、金正日は党の再建に注力しました。2010年には、党大会に準じる党代表者会を開き、金正恩を党中央軍事委員会副委員長に任命しました。

 これが、金正恩の政治的なデビューでした。

 共産主義の党である朝鮮労働党では、総書記がトップに君臨します。本来であれば、後継者はその補佐的な役割である政治局員や党書記に起用されてデビューするのが自然です。党中央軍事委員会副委員長での政治的なデビューは興味深いものでした。

 金正日は息子の金正恩のため、党組織を再建し、党による3代目のシステムを作ろうと考えていたのでしょう。でも、社会全体がまだ先軍思想の時代でした。金正恩を党組織の中にある軍事指導機関の幹部に就けたのは、党主導ではあるものの、軍事にも重点を置く複合的な措置をとるよりほかなかったからです。

──書籍には、金正恩は先軍思想からの離脱を目指しているという話が書かれていました。2024年現在、金正恩は軍を党の支配下に完全におさめたと言えるのでしょうか。

平井:そう言ってもいいと思います。

 北朝鮮には、軍や党、議会、内閣などの国家機関すべての上に立つ「首領」という概念があります。先ほど説明した社会政治的生命体論にあるように、首領は人民の意見を吸い上げて決定を下す「脳」です。

 金正恩の父・金正日は、自ら首領と名乗ることはありませんでした。「首領は金日成ただ一人である」としたのです。

 ところが、金正日の死後、金正恩は父を首領とします。それは、自分が首領になるための布石だったのかもしれません。世襲制の権力国家である北朝鮮において、父親が首領にならずして、自分が首領になることはあり得ません。

 ただ、金正恩政権が始まった直後は、まだ先軍思想も色濃く残っていましたし、自身の権力基盤も十分に整備されていませんでした。首領になることは時期尚早だったのです。

 2012年に事実上の北朝鮮のトップとなってからの10年間は、金正恩にとっては首領となるための準備期間でした。

 北朝鮮では、2020年10月に党機関紙「労働新聞」と党理論誌「勤労者」の共同論説で、金正恩を「人民の偉大な首領」と述べ、金正恩を初めて「首領」と位置づけました。

 金正恩による首領制国家が、これから数年でようやく動き出したというところです。