東日本大震災から13年が経った。事故のあった福島第一原子力発電所は、福島県双葉町と大熊町にまたがっている。事故の直後に日本各地に避難した町民の多くはまだ帰還できておらず、双葉町の前町長は、国の対応がおかしいと今も訴え続けている。
彼は何を目指し、どうして闘い続けるのか。『双葉町 不屈の将 井戸川克隆 原発から沈黙の民を守る』(平凡社)を上梓した、原発問題を追い続けるジャーナリスト、日野行介氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
──この本は、2005年12月8日から2013年2月12日まで、福島県双葉町の町長を務めた井戸川克隆氏について書かれています。井戸川さんとはどのような人物でしょうか?
日野行介氏(以下、日野):井戸川さんは双葉町の前町長で、2005年に町長に初当選しています。井戸川家は双葉町ではかなりの名家で、井戸川さんが持っている土地の地図を見せてもらったことがありますが、ものすごく広い土地を持っているので驚きました。
思わず、「お坊ちゃまがそのまま町長になったのかな」と思うところですが、話を聞いていると、どうやらそうではありません。
井戸川さんは高校卒業後に東京に出た後、井戸川家を継ぐため双葉町に戻り、水道工事の会社を立ち上げています。一度、その会社にもお邪魔したことがありますが、かなり大きな会社でした。
双葉町は福島第一原子力発電所のある町ですが、実は財政的に潤っている町ではありませんでした。井戸川さんが町長になった動機が、破産しかけていた双葉町を立て直すことだったのです。
──原発の町というと、様々な補助金が出て裕福だという印象もありますが……。
日野:原発立地地域には「電源三法交付金」というものがあります。これは電気料金から天引きという形で、原発がある自治体に給付金を交付するものです。電力会社も寄付金を出しています。
ただ、交付金がもらえるために、体育館、図書館、市民ホールなどを建設して、原発立地地域は箱物行政になりがちです。このため、一時的には建設業者を中心に潤いますが、造れば造るほど、やがて維持費がかさんでいってしまう。
市町村の主な原発財源は固定資産税ですが、固定資産税は15年で償却なので、増えていくことはありません。このままでは財政が持たないから「新たに原発を増設してほしい」と国にお願いする。井戸川さんが町長になった頃の双葉町はそんな状態でした。
──そのような状況の中で、東日本大震災が発生したのですね。