首領に不可欠な「思想」

──金正恩は2013年に「人民大衆第一主義」という自身の指導概念を打ち出しました。これは、どのような思想なのか、また、なぜそういった思想を唱える必要があったのでしょうか。

平井:北朝鮮の人に「首領とは何か」と尋ねると、「革命の党を創始し、その党の思想を創出した人」と即答します。つまり、首領には、その首領の思想、イデオロギーが必要不可欠なのです。

 金正恩が政権を継承した2012年当時は、先軍思想が残っており、権力を完全に掌握したとは言えない状況でした。そのため、早く自分の思想を作り、首領にならなければならないというプレッシャーがあったのかもしれません。

 ただ、思想作りには時間がかかります。金正恩政権がスタートした当初は、過去の思想を継承し、「自主・先軍・社会主義」を指導理念としました。「自主」は祖父である金日成の、「先軍」は父である金正日の考え方です。この二つの橋渡しをするのが社会主義です。

 この指導理念に具体的な内容はありません。金正恩自身の思想を構築していく間の時間稼ぎとして掲げられたものに過ぎなかったからです。

「人民大衆第一主義」は、金正恩が打ち出した思想です。金正恩は「人民を第一に考える」という思想を最初に打ち出し、それが金正恩時代の新しい考え方になっていくのではないか、という印象を民衆に植え付けました。

──2017年には、北朝鮮では「わが国家第一主義」が登場し、2019年からそれが定式化されます。「人民大衆第一主義」と「わが国家第一主義」の関係性について教えてください。

平井:この二つは、現在の金正恩の思想の2つの大きな柱です。2つの第一主義が両輪となって動いているのが、今の北朝鮮です。

「わが国家第一主義」とは、「偉大な指導者を戴き、人民大衆第一主義というわが国の社会主義制度を持ち、わが共和国の限りない国力に対する矜持と自負心を持ち、われわれ式社会主義を持った祖国の尊厳と位相を高めていこうという覚悟と意地を持った考え」とされます。

 人民の力を結集し、朝鮮式社会主義国家を発展させようという、いわば人民の力を国家へと導いていく考えです。

「人民大衆第一主義」と「わが国家第一主義」は補完的な関係にあります。

 現在の北朝鮮では、ある時は「人民大衆第一主義」が強く訴えられ、ある時は「わが国家第一主義」が強く訴えられています。

 国民に経済建設や軍事力強化を訴え、人民の力を国家へ集約する時は、「わが国家第一主義」が強調されます。「今は苦しいが少し我慢して経済を発展させよう」と国民に呼びかけます。

 一方で、人民へ恩恵が至る時は「人民大衆第一主義」が強調されています。

 例えば、農業で豊作になったり、農村の住宅建設をしたりした時などは「人民大衆第一主義」が強調されています。もちろん、これは金正恩党総書記のおかげだと大々的に宣伝する。この二つの思想が相互補完的な役割を果たしているように見えます。