奄美大島の自然。服部正策氏はここで40年間、ハブの研究を続けてきた(写真:BUD international/アマナイメージズ/共同通信イメージズ)

 2021年、奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島が世界自然遺産に登録された。新型コロナウイルスの第5類移行による移動の制限がなくなった今、南の島で自然とたわむれる人も少なくないのではないか。

 ただ、奄美群島をはじめとする南の離島に訪れる際には、心しておかなければならないことが一つある。毒ヘビとして悪名をとどろかせるハブの存在だ。『奄美でハブを40年研究してきました。』(新潮社)を上梓した服部正策氏(2020年3月まで東京大学医科学研究所・奄美病害動物研究施設に40年間勤務)に、ハブの生態やハブ対策の術について、話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)

※記事中にはハブの写真が多数掲載されています。蛇が苦手な方は見ない方がいいかもしれません。

──なぜ40年間、奄美でハブの研究をしていたのですか。

服部正策氏(以下、服部):東京大学農学部畜産獣医学科で留年を繰り返して、8年生のときにようやく研究室に所属して卒論を書くまでにこぎつけました。そのときの指導教官に、「服部君には奄美が向いているな」と言われたことがすべての始まりです。

 東京大学医科学研究所の一部が、奄美大島にあることを知っている人は多くはないでしょう。僕が約40年間勤務した奄美病害動物研究施設(以下、研究施設)が、まさにそれに当たります。

 研究施設ができたのは、1902年(明治35年)のこと。後に慶應義塾大学医学部長となる北島多一博士がハブ血清を研究するために設立されました。つまり、研究施設とハブの研究は、一心同体と言っても過言ではありません。

 研究施設に赴任した直後、僕は野生動物や実験動物の生態をメインに研究をしていました。ただ、ハブの研究をされていた先生が忙しいとき、お手伝い程度のことはしていました。その先生が研究施設から異動になるときに、「服部君、あとはよろしくね」と言ったため、僕は研究施設のハブ研究の長い歴史の一端を担うことになったんです。

──具体的に、どんな研究をしていたのですか。

服部:ハブによる咬症被害を減らす研究が主でした。

 初めの頃は電気柵で集落や耕作地を囲って、ハブが侵入しないようにする実験や、ハブが嫌う匂いの研究をしていました。でも、一番時間をかけて取り組んだのは「ハブが好きな匂い」を探すこと。その匂いでハブを誘引して一網打尽にしてしまおう、という作戦です。

 1990年代頃までは「ハブ撲滅」なんて言葉が、行政側からも普通に発信されていました。でも、次第に奄美の自然の固有性に多くの人が注目するようになり、「撲滅ってちょっと言い過ぎなんじゃない?」という意見もちらほら聞かれるようになりました。

 そういうわけで、初めは「ハブ撲滅」に加担するような研究をしていたのですが、途中からはハブと人との共存というような研究にシフトしていきました。

 地元の人がハブに関して正しい知識を持っていれば、意識も変わってハブ被害が減るだろうということで講演会や講習会をたくさんやりました。

 最後のほうは、自分のやっていることが研究なのか、広報なのか、よくわからくなっていました(笑)。