芥川賞を受賞した朝比奈秋氏(右)(写真:共同通信社)芥川賞を受賞した朝比奈秋氏(右)(写真:共同通信社)

 身体が溶け合うように結合している双子を「結合双生児」と呼ぶ。ベトちゃん・ドクちゃんなどはよく知られているが、受精卵の分裂の具合により、身体が分離せず、部分的に結合した状態で出生する一卵性双生児で、数万人から20万人に1人の割合で、こうした双子の出生がある。頭部が結合していたり、上半身が結合していたり、腰のあたりで結合していたりと、結合には様々な形がある。

 医師でもある小説家が結合双生児を描いた物語が、今年上半期の芥川龍之介賞を受賞した。身体の半分ずつがちょうど真ん中で結合している主人公の瞬と杏は、傍から見るとほとんど1人の人間に見える。2人は脳を含むあらゆる臓器を共有しているため、思考さえも通じ合っているが、同時にそれぞれ異なる人格と意思を持っている。

 彼女たちにとって「私」や「個人」とはどういうことなのか。『サンショウウオの四十九日』(新潮社)を上梓した小説家の朝比奈秋氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──2つの異なる身体が、ある部分でだけつながっている結合双生児ではなく、2人の肉体が半身ずつつながった結合双生児を描かれています。いかにして、この物語の基本設定を着想されたのでしょうか?

朝比奈秋氏(以下、朝比奈):5、6年前に、そういう人物が思い浮かびました。どこから着想を得たのかは自分でもよく分からなくて、毎回そのようにして、いつの間にか思いついています。

『サンショウウオの四十九日』に登場する結合双生児の主人公、瞬と杏の状態

 思いついた時点で書き始めて、1年ほどで書き上げたのですが、「こんなもんじゃないだろうな」と何か理解しきれていない感覚があり、しばらくPCのメモリの中で眠らせていました。

 やがて「こういうことなのかな」と思うことがあり、再び最初から書き直して、またしばらく置いて、昨年末に新潮社に持って行き、編集者と打ち合わせをする中でまた気づかされることがあり、さらにもう一度最初から書き直して、ようやく完成に至りました。

 3回も書き直したので、何がどうなって今の小説の形になったのか、もう自分でもよく分からなくなっています。

──書き直すたびに大きく変えたのですか?

朝比奈:もうガラっと。最初に書いていた時は、もっと肉体的なつながりについて書いていました。たとえば、2人は同じ胃腸を共有しているので、片方が何かを食べて、もう片方がそれを食べたくないと思いつつ、呑み込んでしばらくしてゲップをしたら、嫌いなものの臭いがしてきて不快に思うなど、1つの肉体を共有している事実にフォーカスして書いていました。

 しかし、編集者と議論を重ねる中で、身体がつながっていることによる日常の不便さを描写するだけではなく、もっと深いところで2人がつながっている部分を描かないと幼稚だと気づいて、一気に書き直して完成に至りました。3回目の書き直しでは、瞬と杏の年齢も変わり、10年後の29歳の時期が書かれることになり、心理描写が増えました。

──結合双生児にはいろいろな結合の形があるようですが、なぜこのような身体が半分ずつで結合しているという形を選んだのですか?