「何かを意図して物語を組み立てているわけはない」

朝比奈:そこから書き始めたので、なぜということは自分でも分かりません。小説を書く時はいつもそうなのですが、何かを意図して物語を組み立てているわけではありません。

 自分が知っていることや、ある種の計算から書き始めるという感覚ではないのです。

 完全に身体がくっ付いた2人の人間というアイデアを思いついた時は、自分自身でもすごく不思議に感じました。

 1つの身体の中に2人の人間がいて、その2人は完全に独立しているのに、脳も、内臓も、心も、全てを共有している。そうなると「自分とは何なのか」と2人は疑問に思いますよね。実際に調べてみると、頭部がつながっている結合双生児は、お互いの考えていることが分かるようです。

「我思う、故に我在り」という有名なデカルトの言葉がありますが、脳まで結合している瞬と杏には通用しません。思考に自分の主体がない。もう1人と全部くっ付いていたら「ここが私だ」と言える部分はありませんよね。

 それでは、瞬と杏にとって「自分」とはどこにあるのか。それは、追いかけていくうちに、この姉妹が教えてくれました。「意識はあらゆる臓器から独立している」と2人から言われた時に、「この姉妹がそう言うのなら説得力があるな」と私も思わされました。

──物語を書いている朝比奈さん自身が決めていくという感覚ではないのですね。

朝比奈:物語を書く時に、分かっていることを組み立てて小説を書いているわけではなく、分からないところから始まり、ずっと分からない状態が続き、「もしかしたらこういうことなのかな」と物語から教わる。「こうしたらこうなる」という計算はありません。

 読者と同じように「そういうことなのか」と、物語の受け手のように気づきながら書いているので、考えて書いてはいないのです。読者が「これどういうことなんやろ」と思っていることは、僕も同じように疑問に思いながら書いています。