2人の間を行き来した執筆時のこと

──朝比奈さんの中では、どれくらい瞬と杏の肉体的な感覚をイメージできているのですか?

朝比奈:書いている時は完全に没入しているので、私自身も半身ずつ2つに分かれたような感覚がありました。杏の部分を書いている時には、「ああ、もう1人になりたい」「どうしても1人になりたい」と心から思いました。彼女は生まれてから1度も1人になっていませんから。

 逆に、瞬の時は「2人でいれて本当に良かった」「2人でいれて嬉しい」と心から思いました。物語と一緒に私も2人の間を行ったり来たりしながら、それに合わせて感覚も変わっていく。「きっとこうだろう」と想像して書くのではなくて、体感して書く。だから、根拠もないのに確信的に、その時は書けるのです。

──この10年ほど、物語の中の誰の視点で出来事をつづっていくか、視点がいかにある登場人物から他の登場人物にスイッチするかという「人称の問題」が文学のテーマになってきました。本作もまた、人称を強く意識した構成になっているという印象を受けました。

朝比奈:僕が記憶しているところでは、滝口悠生さんの『楽器』などの作品は、まさに視点がいつの間にか入れ替わる作品です。でも、僕の場合は、文学的な視点のチャレンジをしようと思ったわけではなく、2人のことを書いているうちに、自然と2人の声が混じりました。

 あの2人を描くと、どうしても視点が入れ替わる、あるいは混じる。人称が区別できないという部分がある。それは、この2人にとっては自然なことで、2人のことをそのまま描くと、そうなってしまうのです。ただ、それを書くには技術が必要になるので、滝口悠生さんなどのテクニックは、無意識にも大いに参考になったと思われます。

──杏と瞬の意識が入り混じり、唐突にスイッチしてしまう部分がありました。学校の国語の授業でやったら間違いとされてしまうような書き方を意図的にされているわけですが、書くという行為の限界のところで書いているという印象がありました。書き方が複雑になれば読者を混乱させる可能性もあります。このような書き方をすることに不安はありませんでしたか?

朝比奈:戸惑いはなかったですけれど、驚きはありました。それが文法的に正しいかどうかは別として、1つの脳、1つの心、1つの身体を共有すると、ここまで混じるのかと。