「先軍思想」が生まれた背景

平井:先ほど、金日成が亡くなった1994年には、既に金正日が実権を握っていた、という話をしました。しかし、金日成という大きな存在がなくなることによって、北朝鮮は大変な危機に陥ります。

 北朝鮮は「思想の国」です。思想の柱である金日成の喪失は、国民の混乱を招きかねません。さらに、1995年には大きな水害があり、深刻な飢饉が起こります。1994年から1998年のわずか4年の間に、数10万人の餓死者が出たと言われています。「苦難の行軍」と呼ばれた苦境です。

 この時代の朝鮮労働党の最大の課題は、いかにして北朝鮮という国を維持するか、ということでした。

 金日成の死後、金正日は「赤い旗(プルグンキ)思想」を次の思想として打ち出しました。朝鮮労働党を中心とした赤い旗思想で、この危機を乗り越えようとしたのです。ただ、この思惑は失敗に終わります。朝鮮労働党が機能不全に陥っていたためです。

 朝鮮労働党は1980年に第6回党大会を開催しましたが、それ以降、2016年になるまで党大会が開かれることはありませんでした。

 朝鮮労働党がきちんと機能するためには、党の最高意思決定機関である党大会、中央委員会が開かれ、政治局や書記局などがちゃんと稼働しなくてはなりません。でも、長らく党大会をしていなかった朝鮮労働党の人事は虫食い状態でした。金正日がさまざまなことを独裁的に決めていたがため、党内部が形骸化していたのです。

 そこに経済危機、食糧難が起こったらどうなるか。末端党員は、自身の生活を優先し、食料の買い出しに行ってしまい不在になる。党としての活動など、できるような状態ではありませんでした。

 赤い旗思想の次に金正日が打ち出したのが、軍事を優先とする「先軍思想」です。軍には規律があり、上部が命令すればすぐに動くことができます。

 1990年代半ばの北朝鮮には、上部の指示で機敏に動ける機能を有した組織は、もはや軍隊以外にありませんでした。金正日が、社会統制のために軍隊を利用しようと考えたのは、当然のことでした。

──金正恩もまた、軍隊を優先とした政治体制を作ろうとしたのでしょうか。