JAXAは月面探査機「SLIM」の「ピンポイント着陸」を成功させた(写真:ロイター/アフロ)

JAXA=宇宙航空研究機構が1月20日未明(日本時間)、無人探査機「SLIM」の月面着陸に成功しました。月面着陸は米国、ロシア(旧ソ連)、中国、インドに次いで世界5カ国目。一時は発電機の不具合が生じていましたが、無事に復旧し、探査活動の成果が期待されています。こうした宇宙開発をリードするJAXAとは、いったいどんな組織なのでしょうか。やさしく解説します。

フロントラインプレス

始まりは「ペンシル・ロケット」

 世界で初めて人工衛星の打ち上げに成功したのは1957年、ソ連の「スプートニク」でした。世界初の有人月面着陸は1969年の米国の「アポロ11号」です。1950年代から70年代にかけて米ソの宇宙開発競争がしのぎを削っていたころ、両国に大きく後れを取りつつも日本の宇宙開発も幕を開けました。最初は東京大学生産技術研究所が手掛けた「ペンシル・ロケット」の発射実験だったとされています。

 1955年、スプートニクが地球の周回軌道に乗る2年前のこと。東京・国分寺駅前の工場跡地で糸川英夫博士らのチームは、長さ23センチ、直径1.8センチの「ペンシル・ロケット」を開発し、水平方向への発射実験を試みました。長さ1.5メートルのランチャーから発射されたペンシル・ロケットは紙のスクリーンを次々と貫通。見事に実験を成功させました。

(図:フロントラインプレス作成、写真:JAXA)
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 この日を皮切りに日本のロケット開発はスタートを切ります。敗戦から10年しか経っていない日本。机の上に置けるほど小さなロケットでしたが、糸川博士のチームは戦争の惨禍が残る日本を勇気づけました。チームは組織改編を経ながら大気圏の観測などに大きな成果を挙げ、1981年には文部省所管の「宇宙科学研究所」(ISAS)となっていました。

「スペースシャトル」の搭乗員も養成

 科学観測とは別に、将来の商用目的に応じられるロケットを開発しようとの動きも始まりました。これが科学技術庁の所管として1969年に発足した特殊法人「宇宙開発事業団」(NASDA)です。NASDAは鹿児島県の種子島に発射基地を整備。「HⅠ」「HⅡ」などのロケット打ち上げで日本の宇宙開発をリードする一方、アメリカ航空宇宙局のスペース・シャトルで活動する搭乗員の養成も続けました。日本人初の宇宙飛行士・毛利衛さんをはじめ、アジア初の女性宇宙飛行士・向井千秋さん、国際宇宙ステーション(ISS)建設に参加して活躍した若田光一さんらを輩出しています。

日本人初の宇宙飛行士・毛利衛さん= 2000年撮影(写真:ロイター/アフロ)

 宇宙開発を担ってきた、もう1つの軸は独立行政法人の「航空宇宙技術研究所」(NAL)です。航空技術の基礎となる極超音速エンジンの研究・開発などを続け、戦後初の国産旅客機だったYS-11の開発にも参加。ロケット・エンジンの開発支援なども手掛けていました。

 宇宙科学研究所(ISAS)、宇宙開発事業団(NASDA)、航空宇宙技術研究所(NAL)。この3つの組織が統合され、2003年10月に誕生したのが、国立研究開発法人・宇宙航空研究開発機構(Japan Aerospace Exploration Agency、JAXA)です。