ウクライナ復興会議に参加したウクライナのデニス・シュミハリ首相(右)と米国のブリンケン国務長官(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

(舛添 要一:国際政治学者)

 ウクライナ軍は反転攻勢の手を緩めていないが、ロシア軍も地雷を敷設するなどして抵抗しており、期待通りには進んでいない。ゼレンスキー大統領も、「希望よりも遅れている」と述べている。

 そのような中で、戦後復興を見据えたウクライナ復興会議が、6月21、22日、ロンドンで開催された。主催は、イギリス政府とウクライナ政府で、61カ国の政府関係者、企業、国際機関、市民団体の代表者1000人以上が参加した。ブリンケン米国務長官、林外相も参加した。

「政治」不在の現実離れした対応

 復興会議よりも前に停戦の実現に努力すべきだと思うが、復興会議参加者にはビジネスの思惑が見え隠れしている。多くの死傷者を出して貴重な人命を犠牲にしているのは、ウクライナとロシアであり、アメリカをはじめNATO諸国の兵士の血は流れていない。したがって、停戦へのインセンティブもないのである。

 ベトナム戦争のときは、若いアメリカ人兵士が犠牲になり、全米で反戦の大きなうねりが巻き起こった。しかし、今回の戦場はウクライナであり、米兵はいない。アメリカ人から見れば、戦争は遠く離れた海外での話であり、関心も無い。戦争が引き金となって物価が高騰していることに不満はあっても、またウクライナ支援に税金が注がれていても、それが早期の停戦を目指す大衆運動にまでは至っていない。

 また、ベトナム戦争は、朝鮮戦争と同様に、米ソ冷戦の真っ只中の出来事であり、韓国や南ベトナムがアメリカの、北朝鮮や北ベトナムがソ連の代理として戦っているという側面もあった。朝鮮戦争では、中国の人民解放軍、そして国連軍の一員として米軍が参戦した。ベトナム戦争では米軍が北ベトナム軍・ベトコンと戦火を交えている。

1965年9月25日、南ベトナム・ベンキャットのジャングル地帯にあるベトコンの陣地を捜索するため自動小銃をかかえて川を渡る米陸軍第173空挺旅団の兵士たち(写真:AP/アフロ)

 ウクライナ戦争で巨万の富を得ているのは、アメリなどの軍需産業である。戦争が継続することに大きな利益を見出している。しかも、「民主主義を守るための戦い」という錦の御旗を掲げれば、本心を隠蔽するのは容易である。負担をしているのは、アメリカ、ヨーロッパ諸国、日本などの納税者であるが、民主主義防衛というタテマエでその不満を抑えることができる。

 基本的人権、人命尊重という観点からは、一日も早い停戦が望まれるが、そうしないかっこうの理由が山ほどあるのである。