――何の相談なんです? もしかして離婚ですか?
「それは会ってから言います」
その日の昼前、さらには午後4時ごろにも同様の電話が来た。不憫に思った吉田氏はとうとう和歌山に行くことを約束したという。
――分かりました。明日に伺いますから。
「ありがとうね。じゃあ明日待っているから」
これが吉田氏にとって野崎氏との最後の会話になった。冒頭にも記したように、その日の夜10時ごろ、野崎氏は自宅で亡くなった。
数日後、司法解剖の結果が出た。死因はなんと急性覚醒剤中毒だった。
突然の訃報
前日、野崎氏に和歌山行きを約束していた吉田氏は、25日の昼前にJR紀伊田辺駅に到着した。もちろん、野崎氏の急死の一報は、吉田氏の元には届いていた。吉田氏は駅に迎えに来ていた番頭のマコやんと一緒に、ドン・ファン宅へと急いだ。出迎えたのは家政婦のKさんで、早貴被告は前夜の警察の事情聴取に応えていたのでまだ1階の寝室(野崎氏が亡くなった2階の寝室とは別)で寝ており、リビングには姿を出さなかった。このとき、野崎氏宅のリビングにいた誰もが、早貴被告の犯行を疑っていたという。
Kさんは地元・田辺市の出身で、普段は東京・六本木のマンションで暮らしているのだが、田辺市内の病院に入院している父親の世話を、妹と交互に半月ずつするため、しばしば田辺に帰郷していた。そしてその間、野崎氏宅のお手伝いをするようになっていた。野崎氏とは、かつて彼が貸金業をしていたときに手伝っていたという関係で、30年近い付き合いだった。
野崎氏が亡くなった前夜も野崎氏宅にいたKさんは、番頭のマコやんと吉田氏に昨晩の様子を説明した。
亡くなった24日、Kさんはいつものように野崎氏宅の掃除・洗濯などを終えてから午後4時前に父親が入院している病院に行き、午後7時半近くになって野崎氏宅に戻ってきた。
「リビングで早貴ちゃんがテレビを見ながら風呂上りの髪を乾かしていたのを見て、アレって思いました。彼女のゲーム好きは異常なくらいで、いつもタブレットで遊んでいるからテレビを見るなんてことはないんです。私と早貴ちゃんが一緒にテレビを見ていたら、8時半ごろに2階からドンドンと音がしたので『社長が呼んでいるんじゃないの。(2階に)行ったら』と言っても彼女は『いいの』って言うだけで一度も行かなかった。そしてようやく10時ごろに上に行った早貴ちゃんが『大変、大変』って慌てて下りてきて……」