大阪府警におよそ38年間勤務した筆者・村上和郎氏は、そのキャリアの多くを所轄署の鑑識係として送った。その間に扱った変死体は4000体ほど。「死」の原因は、事件、事故、自殺、病気、老衰など様々だが、それらは凄惨な死である場合がほとんど。人生の悲哀が凝縮された死と言ってもよい。過酷な最期を迎えることになった遺体と日々向き合いながら、村上氏は故人に対するリスペクトにも似た気持ちを覚えるようになった。いつしか同僚から「おくりびと」と呼ばれるようになったのも、その気持ちがあったからだろう。
その村上氏が著した『鑑識係の祈り――大阪府警「変死体」事件簿』(若葉文庫)より、一部を抜粋して紹介する。
海に捨てられた名物ばあさん
「最近、あのばあちゃんを見かけたか」
「そういや、ここ何日も顔を見てへんな」
「皆勤賞もんのばあちゃんが、どないしたんやろ。もういい歳やからな・・・」
そんな会話が、署内のあちこちで聞こえるようになったのは、平成12(2000)年4月のことだった。
私が勤務していた警察署には、署員の誰もが知る名物ばあさん(80代)がいた。ここでは仮に名前を「およねさん」としておこう。
およねさんは、私が署に出勤すると必ずと言っていいほど、公かい(大部屋)のカウンター付近に陣取り、時間を問わずくだを巻いていた。
「あの喫茶店の客は、みんなヤクザや。経営者も同じ組のヤクザやで。あいつらは路上駐車をやりたい放題やっとるで! 警察がほったらかしにしといてええんか。しっかり取り締まらなあかん。それがあんたらの仕事やろ!」
甲高い声でまくしたてるおよねさんに、当直中の公かい勤務員はいつも手を焼かされていた。身長145センチメートルぐらいの小柄な高齢女性ながら、じつにパワフルで、口が達者だった。
およねさんは、私が転勤してくるだいぶ前から管轄内で暮らしており、戦時中、借地に建てられた木造2階建ての自宅は、署から徒歩1分ぐらいのところにあるという。先輩署員から伝え聞いた話によれば、もとは警察のよき協力者だったが、10年ほど前に夫に先立たれ、遺族年金で暮らす独居老人になったころから、署の“常連”となったようだ。